松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
ブラインドサッカー日本代表・菊島宙。
カトケンの一言で「覚醒」して得点王!
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松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byYuki Suenaga
posted2019/12/09 08:00
![ブラインドサッカー日本代表・菊島宙。カトケンの一言で「覚醒」して得点王!<Number Web> photograph by Yuki Suenaga](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/1/6/700/img_16b87b8d10762514837feff4b201fde8150854.jpg)
松岡修造さんのインタビューが進むにつれ……どんどん障がい者と健常者の区別、垣根は無くなっていきました。
菊島「心無い言葉をかけられたりしたこと……」
松岡「人見知りをしないの?」
菊島「いや、けっこうありますよ。初対面は特に。松岡さんは特別で、テレビでも見ていたから(笑)。一応、その人の雰囲気を見て、しゃべりかけても大丈夫そうなら行きます。カトケンは教える側で、私は教わる方だったから、話しかけやすいのもありました」
松岡「ブラサカはどうでした。すんなりと入っていけた?」
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菊島「やっぱり最初は『見えていないのになんでボールが蹴れるんだろう』って、不思議に思いました」
松岡「僕が今日感じたことを、ソラさんも思っていたんだ。でも、それを今、やってるんですよ」
菊島「でも、始めた当初は見えていた方が楽しかったので、なかなか普通のサッカーから移れなくて。でも、中1の時にチームメイトから障がいに対する理解を得られず、心無い言葉をかけられたりしたこともあって、もうブラサカ一本に絞ろうと。サッカーを辞めることも考えたんですけど、父親に『お前にはブラサカがあるじゃん』と言われて、それで決めました」
松岡「今では『ブラサカ界の澤穂希』と」
松岡「最初はなんでこんなことができるのと思うところから始めて、今では『ブラサカ界の澤穂希』と言われるくらいまでになった。すぐに上達していったんですか」
菊島「一応、小学校の時から月に1回とかの割合でブラインドサッカーのキッズトレーニングには参加していて、目隠しをしてトラップ、パス、ドリブルはできるようになっていたんです。でも、小6で初めて試合に出させてもらったときは、怖くて壁から動けなかったです」
松岡「そんなイメージは皆無です。今日のプレーを見ていると、最初から飛び抜けた才能があって、すいすいとボールを蹴っていた姿しか想像できない。だからある意味、今の話は新鮮です。何が切っ掛けで怖くなくなったんですか」
菊島「中2の途中までは動けなかったんですけど、カトケンが膝を壊して試合に出られなくなって、そこで吹っ切れました」
松岡「またカトケンが絡んでくるの!」