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諦めかけた清水邦広を支えた名医。
バレー界に信頼される「荒木先生」。
text by
米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph byAFLO
posted2019/11/27 11:30
右膝の怪我を克服した清水邦広。右膝の手術を執刀した荒木大輔医師は、多くのバレーボール選手を復帰へと導いてきた。
「自分の足っぽくなってきた」
荒木には座右の銘にしている言葉がある。
「ドクターは、アスリートのいいブレーキとアクセルになってください」
荒木の上司である黒田良祐教授が、患者だったラグビーの大畑大介に言われて大事にしている言葉で、荒木もこの言葉をいつも頭に置いている。
荒木にブレーキを操作されながら復帰した清水は、手術から約1年半が経ってようやく、「自分の足っぽくなってきた」と言う。
移植した靭帯がなじむのには通常2年ほどかかり、そこからパフォーマンスも上がるという。だから清水は、まだまだ現役を辞めるわけにはいかない。
「自分は11年Vリーグでやっているんですけど、2、3年ぐらいは怪我で棒に振っているので、みんなよりも長く、できる限りバレーボールをやり続けたいなと思います」
清水の人生を変えた荒木の存在。
来年の東京五輪は、代表生活の区切りになるかもしれないが、そこで現役生活を終えるつもりはない。清水には今、目標がある。「指標になる」という目標だ。
テレビ番組の対談で出会ったサッカーの中山雅史から影響を受けた。中山は一度第一線を退いた後、現役に復帰し、52歳の今もJ3で現役生活を続けている。その中山に「俺がここまで長くやっているのは、指標を示したいから」だと聞き、それを自分にも置き換えた。
「今は医療が発達して、スポーツ選手の寿命もどんどん延びている。1人がやり続けることによって、ここまでできるんだぞという指標ができれば、そのあとのみんなはもっともっと頑張れると思う。バレー界では(40歳まで現役を続けた)荻野(正二)さんがいましたし、今なら(38歳のミドルブロッカー)松本(慶彦)さんもいるけど、オポジットというポジションの中での指標を示していくのは、1つカッコイイことなんじゃないかと。どこまでできるかわからないけど、やれるところまでしっかりやっていきたいなと思います」
一度は引退を考えた清水の人生は、変わった。その清水に、荒木はこれからも寄り添い続ける。
「手術するということは、その選手の人生を背負うことになる。いい時も悪い時も、逃げないこと、ちゃんとそばにいるということ。本当はもう病院で会わないことが一番いいんですけど、何かあった時に助けてあげられるような、頼られる存在に、陰ながらならなければいけないなと思っています」