マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
10年目の戦力外に「おめでとう」。
広島・庄司隼人からの電話と記憶。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byKyodo News
posted2019/11/07 11:40
後列の右から3番目に庄司隼人の姿が見える。あれから10年、彼の野球人生はひとつの区切りを迎えた。
10年間の生存率は38%。
プロに入って、ひと区切り10年を勤め上げた選手は、いったいどれぐらいいるのか?
試しに、庄司隼人と同じ年のドラフトで、今も残っている選手、つまり10年働いた選手がどれぐらいいるのか?
調べてみたら、「生存率」わずか38%。
2010年、プロに入った1年目には、東出輝裕-梵英心の二遊間がまだ元気な頃。そこに、2年経ったら菊池涼介が入ってきて、さらに2年経ったら今度は田中広輔が入ってきて、“先代”よりさらに鉄壁の二遊間を形成してしまった。
Bクラスが続いて低迷していた時期のカープに入団し、年を経るごとに徐々に強くなって、セ・リーグ3連覇も味わった。
すいも甘いもかみわけて、激動の過渡期のカープで10年。
その10年で一軍はどれくらい? と思えば、わずか22試合。いや、プロ野球の経験もない者が、わずか……なんて言い方は失礼だ。
あまり大きくならなかった体で、それでも懸命な努力に励み続けた10年間に、乾杯!
10年間に22試合。そんな選手に、球団が支配下枠を1つ与え続けた意味を誇りにしよう。
間違いなく野球の世界で輝く男だ。
かりに「選手」ではなくても、間違いなく野球の世界でこそ役に立てる男だ。勝手なことを言わせてもらえば、たとえば、スタンドでじかに話ができるスカウトという職分で庄司隼人の「野球」が存続できるのなら、いちばんうれしいのだが……。
小さな体に、野球のエネルギーをパンパンに充満させた「野球小僧」が1人、現役のユニフォームを脱いだ。
一軍22試合の10年間。庄司隼人のプロ野球生活の1日1日に、「おめでとう!」の賛辞を捧げたい。