マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
10年目の戦力外に「おめでとう」。
広島・庄司隼人からの電話と記憶。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byKyodo News
posted2019/11/07 11:40
後列の右から3番目に庄司隼人の姿が見える。あれから10年、彼の野球人生はひとつの区切りを迎えた。
「こいつと野球の話してると朝になる」
すっかり日が暮れたグラウンドのネット裏。
いつまでも話し込んでいる「野球バカふたり」。
もうそろそろ……と呼びに来てくださった黒澤学監督(当時、現・常葉大菊川高野球部長)が、「こいつと野球の話してると、あしたの朝までかかりますから」と笑っていた。
「野球センス、勝負根性、練習熱心、研究熱心……そのあたりはまったく心配してません。プロでやるとすると、体も大きくないし(当時で175cm68kg)野手だと思うんですが、野手にしては、そこまで足が速くないんですよ」
50mで6秒3、4っていうところかなぁ……。
結果的に、その時の黒沢監督の“心配”が当たった格好になった。
広島に入団してからも、器用にひと通りのことができるから、ファームの「2番セカンド」がちょうどいい選手になった。
間違いなく、誰がみても「いい選手」なのだが、プロで「いい選手」はファームを意味する。
一軍に居場所を作れるのは、人が見てひと目でビックリするような「すごいもの」を持った選手なのだ。
ひとしきり説明して、声が詰まった。
それでも、見るたびに、いつも頑張っていた。ファームにいても、若い選手よりずっと頑張っていた。
正直、5年目を越えたあたりから、キャンプで会えるのも今年が最後かもな……と思いながら、それでも、薄暗くなっても最後までバットを振っている姿を見ていると、いつかは報われるんじゃないか。野球の神さまだって、そこまで冷酷じゃないだろう。そんな気がしたものだった。
「頑張れるだけ、頑張ったんですが……」
言いわけがましいことは一切話さず、毅然と状況を説明してくれて、ここまで来て、声が詰まった。
「プロで10年やって、それでクビだったら、そりゃあ、お祝いだよ! おめでとーだよ!」
こっちも、そこまで言うのがやっとだったが、言ってから思った。
やってやって、やり尽くして、それで手が届かなかったのなら、それは間違いなく全うしたことになろう。
ならば、立派な「お祝い」じゃないか。