マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
10年目の戦力外に「おめでとう」。
広島・庄司隼人からの電話と記憶。
posted2019/11/07 11:40
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
Kyodo News
その男から電話がかかってきたのは、朝の9時をまわったところだった。
「ご無沙汰しております。庄司です」
携帯電話の画面に出たのが、「電話番号」だけだったので、どちらの庄司さんなのか、パッとはわからなかった。
「あ、カープの庄司です。しばらくです」
広島東洋カープ・内野手・庄司隼人。
2009年・夏の甲子園に母校・常葉橘高を初出場させて、旭川大高を相手に6安打完封。さらに、明豊高(大分)・今宮健太(現・ソフトバンク)とも互角の投げ合いを演じて、その秋のドラフト4位で広島に入団。
プロでは内野手に専念し、今年でプロ生活10年目にさしかかっていた。
「安倍さん、きのう、残念ながら戦力外になりました」
彼のことは、高校時代にその全力投球を受け、話を聞いて野球雑誌の記事にして、それ以来ずっと気にかけていた。
カープの日南キャンプに行けば、二軍の東光寺球場にまわって、必ず様子を見にいった。
練習中だから、交わす言葉もわずかな立ち話だけだったが、お互い、うれしい「再会」には違いなかった。
「10年目にして、初の一軍キャンプですよー!」
いつのキャンプのことだったか、私の「流しのブルペンキャッチャー」を知っていてくださるコーチの方がいて、
「庄司、お前、安倍さんに受けてもらったのか! わるい! そんなすごい選手だと思ってなかったわ!」
冗談半分に、声をかけられた時の彼の笑顔が忘れられない。
しかし、それよりも、今年の日南キャンプだ。
「10年目にして、初の一軍キャンプですよー!」
会うなり、そう叫んだ彼の笑顔は、その時以上の会心の輝きだった。
広島東洋カープ内野手・庄司隼人が立っていたのは、「天福球場」のほうだった。
菊池涼介や田中広輔と同じ“地面”でノックボールを追いかける「背番号52」が、誇らしげに見えた。