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安部裕葵をバルサへ導いた成長欲。
「挑戦する回数が人生では大事」

posted2019/07/12 19:15

 
安部裕葵をバルサへ導いた成長欲。「挑戦する回数が人生では大事」<Number Web> photograph by AFLO

鹿島アントラーズからバルセロナへ。安部裕葵の大挑戦が始まろうとしている。

text by

寺野典子

寺野典子Noriko Terano

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AFLO

 2019年夏。FCバルセロナに所属する初めての日本人選手が誕生した。

 安部裕葵20歳。7月12日、クラブ間合意が発表された。

「瀬戸内から鹿島に来られたのだって、夢のような話でした。そして、今回このようなチャンスがもらえた。鹿島に入っていなければ、僕は普通の大学生だったと思うので。正直、失うものはなにもない。

 大学生になるはずだった僕を海外でサッカーができるまでに(育ててくれて)、そしてバルセロナというチームへの切符を手にできた。それは鹿島というチームに育ててもらったから。僕ひとりで果たせたものじゃない。そういうなかでこういうチャンスをもらったのに、行かないという選択肢はない」

 クラブハウスで安部が口にしたのは、高校を卒業し、鹿島アントラーズからオファーが届き、加入を決めたときの話だった。

 中学時代はS.T.FOOTBALL CLUB(エスティーフットボールクラブ)というクラブチームでプレー。プロ入りを目指して選んだのが、広島県にある瀬戸内高校。しかし、そこで先発の座を確保できたのは、3年になってからだった。

 それでも、夏のインターハイでの活躍が鹿島の椎本邦一スカウトの目に留まった。それは同ポジションで獲得を目指していた別の選手に断られたことがきっかけでもあった。

 正直にそれを告げたうえで、交渉が始まった。「話をしてみたら、(柴崎)岳のような雰囲気があり、しっかりとした考えの持ち主だった」と椎本氏は当時を回想している。

サッカーの本質を学びたい。

 アンダー年代の代表に選ばれたこともない無名の選手。そんな状態でプロ生活が始まった。

 途中出場が多かったルーキーイヤーを経て、2シーズン目となった2018年は先発出場が増えた。U-19代表にも選ばれると、自然に海外を意識するようになっていく。それはクラブやリーグへの憧れというよりも、「成長したい」という向上心だった。

 鹿島でも、自分が気になる選手がいれば自分から話を聞いた。そして自身の変化を客観的に捉える力が、安部にはあった。出場機会が増えた昨シーズンには、サッカーに対する考え方も変わった。

「僕自身、去年の途中あたりからサッカーがすごく好きになった。今まではただボールを追いかけて、ガムシャラにしかやってこなかった。だから、戦術的なものをほとんど経験してこなかったんです。

 でも今はもっとサッカーの本質、そういうものを学びたいと強く思っています。ポジショニングだったり、見るところだったり。いつも何か吸収できることがあるんじゃないかと、常に気を張りながら練習や試合に臨んでいます」

【次ページ】 内田篤人が話していた安部評。

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