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元・若乃花と小錦が語る平成3年、
大相撲戦国時代は生きるか死ぬか。

posted2019/04/30 09:00

 
元・若乃花と小錦が語る平成3年、大相撲戦国時代は生きるか死ぬか。<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

相撲ブーム真っ盛りの頃の若花田(左)と貴花田。日本列島が2人の取組を固唾をのんで見守った。

text by

佐藤祥子

佐藤祥子Shoko Sato

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BUNGEISHUNJU

若貴兄弟が幕内上位で活躍し始めた平成3年、
好角家のみならず、日本中が大相撲ブームに沸いた。
熱狂のなか鎬を削った当事者たちが、
四半世紀を超えて追想する“戦国時代”。
Number968・969号(2018年12月20日発売)の特集を全文掲載します!

 連続“満員御礼”記録が192日間を数え、大相撲人気が続いている。チケット入手は困難を極め、東京の両国国技館には、限られた当日券を求めて夜明け前から200m近いファンの列ができるほどだ。おそらくこの人気は、平成から次の世をまたいだ来年以降も続くのだろう。

 ただ、「当時の大相撲人気は、こんなものじゃなかったんだ」というのは、平成時代前半の相撲界を熟知する元大関――現在はタレントとして活躍する小錦八十吉だ。

「当時は相撲人気というよりも“若貴ブーム”“若貴フィーバー”と言われていてね。バブル時代の終わりで、言ってみればミーハーな人気でもあった。お相撲さん――特に若花田と貴花田の若貴兄弟が、まるで芸能人のようにアイドル扱いされていたんだよね」

 それは昭和63(1988)年2月、昭和の人気大関だった父・藤島親方(元貴ノ花)の元に、ふたりの兄弟が入門したことから始まった。

「僕が角界入りしたのは昭和57年だけど、当時から相撲人気は定着していた。本当の相撲好きというのかな、館内はお客さんでいっぱいだったよ。彼ら兄弟の父は現役時代、“角界のプリンス”と呼ばれ、美男子で実力もあって人気があった。その後は千代の富士が出て来て、そこに若貴ブームが乗って来たんだよね」

肩身が狭く、生きにくかった。

 平成元年の11月場所から、666日間連続での満員御礼を記録する。ちなみに起点となったこの場所では、千代の富士、北勝海、大乃国の3横綱が番付に名を連ね、前年3月に初土俵を踏んでいた当時の貴花田(のちの横綱貴乃花)はまだ十両。兄の若花田は幕下上位。NHKの中継には映らない番付であったが、人気大関を父に持つ花田兄弟のスピード出世物語に、日本中の注目が集まっていた。

 その渦中にいた兄の若花田――のちの横綱三代目若乃花――現在は芸能界に身を置く花田虎上(まさる)はいう。

「人気があるって実感はなかったんです。テレビを観る時間なんてないし。マスコミに追っかけられたり、大勢のファンに囲まれたりで『あれ?』とは思うんだけど……。肩身が狭かったし、すごく生きにくかった。新弟子の僕らが騒がれて周囲にはいつも気を遣いました。でも『強くなろう、仕事を一生懸命しよう』としか頭にはなかった。それに、キャーキャー言われるのは僕ではなく、弟のほうでしたから、僕は落ち着いて、冷静に見ていました――冷めていたんですよ」

【次ページ】 千代の富士引退と若貴ブーム。

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