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元・若乃花と小錦が語る平成3年、
大相撲戦国時代は生きるか死ぬか。
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2019/04/30 09:00
相撲ブーム真っ盛りの頃の若花田(左)と貴花田。日本列島が2人の取組を固唾をのんで見守った。
千代の富士引退と若貴ブーム。
入門の瞬間から報道陣のフラッシュを浴び、部屋を一歩出るとテレビのリポーターに追われる毎日。あくまでも「主役は弟」という兄は、ときに寡黙な弟の盾にもなる。喧噪から逃れるように、ひたすら稽古に打ち込む弟は、そののちに「優勝した次の日からもう稽古場に下りていた」ほどに“求道者”となって行く。
「相撲界に入ったことで、僕たちは異常なほどに精神力が強くなっていったんです」
平成3年5月場所、初日。前年の5月場所で史上最年少となる17歳8カ月で新入幕を果たした貴花田が、前頭筆頭の地位で横綱千代の富士を寄り切り、金星を上げた。この一番のNHK瞬間視聴率は、44%を超えた。
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そしてその場所3日目に、長く君臨していた昭和の名横綱・千代の富士が引退。世代交代を印象づけ、さらに若貴ブームに火がついた。続く7月の名古屋場所、藤島部屋(当時)の宿舎である小さな寺には、兄弟を一目見ようと訪れるファンが、1カ月のあいだで1万2000人を数えたという。
この翌年3月場所での新弟子検査では入門希望者の数が、実に160名に上った。
「名脇役」も群雄割拠だった。
ブームの立役者は、間違いなくふたりの兄弟だったが、引き立てる「名脇役」も、まさに「群雄割拠」。ハワイ勢の小錦、曙、武蔵丸。のちに大関となった魁皇、武双山、栃東、兄弟と同部屋だった長身の貴ノ浪。名関脇といわれ、最多金星獲得記録を持つ安芸乃島、“曙キラー”といわれた貴闘力。“F1相撲”と呼ばれ、類い稀なスピードを誇った琴錦――。それぞれに個性的で自分の相撲の型を持つ名脇役たちが、土俵狭しと熱戦を繰り広げていた。
「みんながそれぞれの持ち味を出して、今見ても本当におもしろい相撲ばかりなんだよ。今の力士たちは、当時と比べると『この型になったら強い』という個性をみんな持ってない」と元横綱の武蔵丸が嘆いていたことがある。この意見に小錦も同調する。
「ハワイ出身の僕たちは、今までと違うコンテンツだった。それまでの相撲界になかったパワーと大きさで相撲を取るの。当時の相撲界に違うエッセンスを持ち込んだんだ。世代はそれぞれに少し違うけど、小兵の旭道山や業師の舞の海、智乃花もいた。“技のデパートモンゴル支店”といわれた旭鷲山や旭天鵬も入って来た頃。
本当にいろいろなタイプの力士が揃い、今みたいに、引いたりはたいたりの相撲はなかったの。技と力とスピードのある戦いが、毎日続いていたんだ。僕たちハワイ勢に対抗しようと、貴乃花は体を大きくして大きい相撲を取るようになっていったな。だけど、体の小さいお兄ちゃん――若乃花の存在のお陰で、技と技との戦いが見られてもいたんだ」