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元・若乃花と小錦が語る平成3年、
大相撲戦国時代は生きるか死ぬか。 

text by

佐藤祥子

佐藤祥子Shoko Sato

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photograph byBUNGEISHUNJU

posted2019/04/30 09:00

元・若乃花と小錦が語る平成3年、大相撲戦国時代は生きるか死ぬか。<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

相撲ブーム真っ盛りの頃の若花田(左)と貴花田。日本列島が2人の取組を固唾をのんで見守った。

毎日が死ぬか生きるかだった。

 13年間の現役生活で、熟睡したことはないという。睡眠薬を6錠飲んでも寝られず、場所後の休みには強制的に入院させられ、全身を検査していたと明かす。その犠牲は大きく、40代になってからは数々の後遺症に悩まされている。

「日々がきつくてね。毎日が痛みとの戦いなんです。今年は背中かな。毎年違って、以前は脚が痛くて町中で動けなくなって座りこんでしまったり……。あの頃は若いから耐えられたんですよね。

 なんでそこまでできたかって? 『おじいさんはあなたのファンで、あなたの相撲を見ながら死んだ』なんて言われると、限界を超えられた。メーターを振り切れちゃうんですね。すべてを犠牲にしたことで、横綱という地位が手に入った。得るものもあったけれど、僕は失うものも大きかったと思っています」

 小錦も、しみじみと振り返った。

「僕たち外国人も、海を渡った日本の土俵で、毎日が死ぬか生きるかだった。若貴もそうだったろうね。今の日本は社会全体が甘いけど、当時の僕らはメンタリティが違ったと思う。誰もが必死で真剣で、それがあの頃の土俵にすべて出ていたんだ。お客さんに伝わっていたんだよね」

 ブームを支えたかつての横綱――兵(つわもの)たちは、今、それぞれの形で相撲界を離れている。曙は格闘技界に飛び出し、平成の大横綱・貴乃花は、平成の終わりを自ら告げるかのように角界を去った。当時の熱狂を肌で知る武蔵丸がただひとり、若き弟子たちに「夢のあとさき」を伝えている。

(Number968・969号『元若乃花と小錦が語る大相撲戦国時代 若貴フィーバーの陰で。』より)

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