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元・若乃花と小錦が語る平成3年、
大相撲戦国時代は生きるか死ぬか。 

text by

佐藤祥子

佐藤祥子Shoko Sato

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photograph byBUNGEISHUNJU

posted2019/04/30 09:00

元・若乃花と小錦が語る平成3年、大相撲戦国時代は生きるか死ぬか。<Number Web> photograph by BUNGEISHUNJU

相撲ブーム真っ盛りの頃の若花田(左)と貴花田。日本列島が2人の取組を固唾をのんで見守った。

曙が語った「負けてたまるか」。

 ヒール役として、兄弟の放つ光の陰影を、さらに色濃くした存在が曙でもある。

 相撲教習所の新弟子時代から、曙は兄弟にライバル心を燃やしていたという。元若乃花が当時のエピソードを明かす。

「休憩時間もなく、弟とふたりでガンガン稽古していると、曙が割って入って来ようとするんですよ。ベテラン力士の指導員がいるんですけど、『お前はまだ無理だ。ボロボロにされちゃうぞ』と止めるんですよね。それが曙は悔しかったみたいなんです」

 曙が、かつてのインタビューで語っていたのを思い出す。

「新弟子の頃からあのふたりは新聞に載っていて、僕が新聞に載るには、このふたりを倒さなきゃいけないんだ! と思ったんです。お互いに出世してからは、相撲だけじゃなく車でも着物でも、なんかこう『負けてたまるか』っていうのがあるんですよ(笑)」

「日本だから、国技だからかな」

 元若乃花も、「曙だけには勝たなきゃという思いが常にありました。なんでですかねぇ……」と言葉を探る。

 現在、外国出身力士は32名を数えるが、当時の外国人力士は小錦、曙、武蔵丸を筆頭に、ごく少数。「日本対ハワイ」の構図で土俵を見る向きもあった。

「うん、やっぱり日本だから、国技だからかな。うまく言えないけど、日本は戦争でアメリカに負けてるじゃないですか。自分ではそんな意識はないんですけど、年配の方々の悔しかった思いを、どこかで感じることもありましたから。だから曙にだけは負けられないと思っていたんですよね」

 さらに元若乃花は当時に思いを馳せた。

「当時、僕はお客さんに喜んでもらえるのが一番うれしかったし、曙に勝って初優勝した時が一番うれしかったかなぁ。この時、館内が揺れたと言われましたけど、花道で『いい仕事ができた。ああよかった』って思うだけ。それだけで、また翌日頑張れたんです。そうそう、入門した時にオヤジに言われたんですよ。『一生大変だぞ。これから365日、毎日ガラス張りの生活になる。覚悟しろ』と。その通りでした」

【次ページ】 毎日が死ぬか生きるかだった。

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