甲子園の風BACK NUMBER
センバツの習志野アルプスに轟いた、
“美爆音”と40年前のトランペット。
posted2019/03/25 11:40
text by
梅津有希子Yukiko Umetsu
photograph by
Yukiko Umetsu
大会2日目の第1試合、10年ぶりのセンバツ出場、8年ぶりの甲子園出場を果たした習志野のアルプススタンドは、美しく、そしてすさまじい爆音に包まれていた。
筆者はZOZOマリンスタジアムなどで何度も同校の応援を聴いているが、響き方がまったく違う。近くで聴いていると、「ドンドンドン!」というバスドラムのリズムが腹の底にズドンと響き、200人超という、おそらく今大会最多人数となるであろう吹奏楽部員が放つ音圧のすごさに、しばらく言葉が出なかった。
吹奏楽コンクールの全国大会に30回以上出場し、「美爆音」のキャッチフレーズで知られる名門吹奏楽部が全力で演奏する中に、塗装のはがれたボロボロのトランペットを吹く、1人のOBの姿があった。
同校を代表する応援曲『レッツゴー習志野』を作曲した、根津嘉弘氏だ。
曲が誕生したのは1975年のこと。
同曲が誕生したのは1975年のこと。ヤクルトスワローズ監督の小川淳司が野球部のエースで、二度目の甲子園制覇を成し遂げた年だ。
当時の吹奏楽部は、現在の200人超えの大所帯とは違って、30人ほどのこぢんまりとした部だったという。1967年に同校が甲子園で初優勝した時、「夢中になってテレビ観戦をしていた」という根津氏は、野球応援がしたくて習志野に入学した。
今でこそ何十曲もの応援曲を持つ吹奏楽部だが、当時の野球応援は、大半の学校が早稲田大学の『コンバットマーチ』や慶應義塾大学の『ダッシュKEIO』など、六大学の応援を模倣していた時代。
「まさに習高もそのような応援でした。2年生の時、顧問の先生に呼ばれて『何か応援曲を作ってくれないか』と頼まれたんです」(根津氏)