ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
マサ斎藤追悼大会に大物たちが集結。
レスラーの鑑だった一匹狼の生き方。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byGantz Horie
posted2019/02/26 17:00
マサ斎藤追悼大会でのワンシーン。ゆかりあるレスラーたちが名レスラーを偲んで集った。
ツテがなくても米国でサバイバル。
これらは主催者サイドが話をつけたのではなく、すべて倫子夫人が個人的に連絡を取ることで実現したもの。長くテレビ番組の海外コーディネーターの仕事をしていた倫子夫人は、海外ブッカー時代のマサさんの右腕でもあったため、その当時からファミリー的な付き合いをしていたビショフら大物たちが、「マサとミチのためなら」と快諾したのだ。
この豪華メンバーでの追悼セレモニーこそ、倫子夫人がマサ斎藤の偉大さを1人でも多くの人たちに知ってもらうための大仕事だったのである。
26歳でなんのツテもない中、単身アメリカに飛び、以降20年間もの長きにわたり一匹狼として、アメリカマットを生き抜いてきたマサ斎藤。そのたくましい生き様は、国際化が進むプロレス界において、今後はより多くの日本人レスラーたちの指針となるだろう。
「自分のスペシャリティを磨け」
最後に、マサさんが'99年に著した自伝『プロレス「監獄固め」血風録 アメリカを制覇した大和魂』(講談社)の末尾で、日本の若者たちへ送ったメッセージを紹介しよう。
「俺がアメリカにいた頃よりも、はるかに世界は狭くなっている。若者たちが気軽に海外に出かけていく時代だが、いざ勝負となればハンパなことでは生き残れない。プロレスもほかのビジネスも同じだろう。
世界と勝負したければ、自分のスペシャリティを磨け。そして、いつもグッド・コンディションとグッド・ハートを維持しろ。
力のある奴ら、力のある社会をバックにしている奴らの3倍、4倍、5倍の努力と誠意が必要だ。そして忘れてはいけないことは、チャレンジし続けることだ。
これからの時代、日本に押し寄せてくる世界のプレッシャーは強大だ。だけど、死ぬ気でやればなんとかなる。いつでも大和魂でぶち当たれば、なんとか生き残っていけるものだ。この俺でもやれたんだから」