ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
マサ斎藤追悼大会に大物たちが集結。
レスラーの鑑だった一匹狼の生き方。
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byGantz Horie
posted2019/02/26 17:00
マサ斎藤追悼大会でのワンシーン。ゆかりあるレスラーたちが名レスラーを偲んで集った。
「またリングに上がりませんか?」
レスラーにとって、やはりリングこそが生きる場所だ。あれだけの動きをしたことは、のちに動画を確認した主治医も驚いたという。
しかし、厳しいリハビリはその後もずっと続くもの。進行性の病であるパーキンソン病との戦いには、終わりがないのだ。薬の副作用でうつ状態になることもあり、とにかくリハビリに対するモチベーションを保つことが大きな課題だった。
そんな中、昨年の夏前に上井氏から「来年2月、またリングに上がりませんか?」というオファーが来た。この連絡を受けて以来、マサさんは再びリハビリに前向きになり、“復帰戦”に向けてコンディションをピークに持っていけるような、トレーニングスケジュールが組まれた。
しかし、そんな矢先にマサさんの体調は急変し、帰らぬ人となってしまったのだ。
フレアー、ホーガンもメッセージ。
2月15日の追悼イベントで、リング上から挨拶した倫子(みちこ)夫人は「本来ここに立っているのは、マサ斎藤のはずでした。無念の気持ちでいっぱいです」と、涙ながらに語り、「マサ斎藤という名前を、おひとりでも多くの方々の心に、1日でも長く届けていただきたい」と訴えた。
このイベントには、マサさんが選手アドバイザーを務めていた健介オフィス時代の愛弟子であるプロレスリング・ノアの中嶋勝彦とマサ北宮のほかに、'90年代に世界最大の団体だったWCWの元社長エリック・ビショフと、一世を風靡したnWoの元マネージャー、サニー・オノオもわざわざアメリカから駆けつけた。
ビデオメッセージでは、新日本プロレスの海外ブッカー(渉外担当)だったマサさんが新日本へとスカウトしたスコット・ノートン、ドン・フライ、nWoスティング(ジェフ・ファーマー)。AWA時代のタッグパートナーだったマスクド・スーパースター。さらに超大物のリック・フレアー、ハルク・ホーガンまでもが登場し、マサさんに対して哀悼の言葉を捧げた。