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柔道と並行して医師を目指す二刀流。
朝比奈沙羅の芯はずっと強いまま。 

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byKyodo News

posted2018/09/30 17:00

柔道と並行して医師を目指す二刀流。朝比奈沙羅の芯はずっと強いまま。<Number Web> photograph by Kyodo News

昨年の世界選手権でも延長戦に突入したものの、朝比奈沙羅は見事リベンジを果たした。

柔道をしつつ、医学の勉強も。

 一方で朝比奈には追いかけていた夢があった。麻酔科医の父、歯科医の母をもつ影響もあって、医学の道を志していたのだ。東海大学に進学した頃は、まずは柔道に専念し、柔道を終えたあと医学の道へ――そう考えていたという。

 ものごとを極めようと思えば、そこに注力するのは自然なこと。だから極める時期をずらすのも、もっともなことに思われる。

 だが朝比奈は別の選択をした。柔道をしつつ、医学の勉強もすると決めたのだ。大学の柔道部に所属していると学生の大会もあり、柔道と勉強の両立は難しいということもあった。そして導き出した答えが、柔道部を退部し(正確には「卒部」扱いとなった)、自ら時間をコントロールすることだった。

 「二兎を追うものは……」ではないが、その決断には批判的な視線も向けられた。

 共倒れになるのではないか。

 指導者がいる柔道部を離れ、「フリー」となって自身をコントロールしていけるのか。

 そもそも柔道が弱くなるのではないか。

 様々な疑問が投げかけられた。実際、朝比奈も「嫌な言葉をかけられた」ことがあると明かしている。国内の大会では若手に敗れたこともあり、なおさら周囲の疑念は深まっていった。

以前から「芯」があった朝比奈。

 そんな状況で迎えた世界選手権は、9月上旬に行なわれた大学の医学部受験から間もないタイミング。そこで得た勝利は、昨年のリベンジであるとともに、さまざまな声に対する回答にもなった。

 朝比奈は以前から「芯」を感じさせる選手だった。

 例えば2013年、日本代表など強化選手が代表の指導者たちをパワハラで告発した際は、当時16歳ながら、告発からの流れに対し、公に疑問を投げかけた。是非はともかく、それは周囲に流されず意思を示すことができる人であることを表していた。

 だからこそ、東海大学柔道部を離れてからかけられた声に対しても動ずることなく、自分を貫けたのだろう。

【次ページ】 日本では難しいこともあるけど。

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