プロ野球亭日乗BACK NUMBER
内海哲也は何を取り戻したのか。
ストレート比率が増えて復活の3勝。
posted2018/07/21 09:00
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
Kyodo News
同じような夢を巨人の2人の監督から聞いたことがある。
「あいつをしっかり育てれば必ず優勝できるチームが作れる」
2004年。ペナントが絶望となったシーズン終盤だった。東京ドームで当時の堀内恒夫監督はチーム再建へのカギを握る投手として、その年入団したルーキーの名前を挙げてこう語っていた。
そうしてそれから1年余り後の'05年12月だ。そのオフに堀内監督からバトンを受けて、巨人に復帰した原辰徳監督も、2年目のシーズンを終えた同じ投手の名前を出してこんなことを語っている。
「彼が名実ともにエースに育てば、巨人軍は黄金期を迎えるはずだよ」
こんな風に2人の監督に夢を抱かせた投手が、若き日の内海哲也だったのである。
予言通り、巨人の黄金時代を築き上げた。
そんな夢を胸に、堀内元監督は2年目から内海をローテーション投手に抜擢して、19試合に先発で起用した。しかしこの時点では、まだまだ力不足で4勝9敗の成績に終わり、チームもBクラスの5位に転落。その責任をとって堀内監督はユニフォームを脱いだ。
しかしその抜擢が花開いたのは、後任の原監督就任1年目の2006年だった。内海にとってはプロ3年目のシーズンである。
この年二桁の12勝をマークすると、翌年から14勝、12勝と連続二桁勝利をマークし、'11年からは2年連続最多勝にも輝いた。
そうして原監督が就任したときに予言した通り、内海の成長曲線とともに巨人の黄金時代も築き上げられていったのである。それはまた1年目からその才を見抜き、期待を寄せた堀内監督の予言でもあった。
内海はそんな2人の監督に夢を見させて、それを実現してきた投手なのである。
ただ、ここ数年は故障などもあり、かつてのエースはすっかり輝きを失ってしまっているように見えた。