One story of the fieldBACK NUMBER
稲葉ジャパンが作った「右足の掟」。
いつもより1歩リードを広げた理由。
posted2017/11/21 11:30
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
Kyodo News
アジアプロ野球チャンピオンシップの優勝監督となった稲葉篤紀は東京ドームのお立ち台で同じフレーズを4度、繰り返した。
「東京オリンピックで金メダルを――」
その第一歩となった今大会、稲葉に続いて壇上に立ったのは見慣れない顔だった。西武ライオンズの3年目・外崎修汰がMVPとしてフラッシュを浴びていた。24歳以下、入団3年目以内と制限のついたこの大会では、所属チームでは決してメインキャストではない若者たちが代表のユニホームを着て主役になった。どれほどの自信になるだろうか。
ただ、東京オリンピックに年齢制限はない(現時点で)。このメンバーのうち何人が3年後、その舞台に立てるだろうか。正直、ごくわずかではないか。菅野智之も、筒香嘉智も、菊池涼介もいない代表チームを見てそう思った。
東京五輪に繋がる「掟」が見えた大会だった。
では、この大会の意義は薄いのか。
そうは思わない。
少なくとも稲葉ジャパンにとっては……。たとえメンバーが変わっても変わらないものがこのチームには見えた。正確に言えば、そういうものを稲葉監督以下、首脳陣が構築しようとしていた。いわばチームの「掟」とも呼ぶべきものである。
7-0と予想外の大差がついたライバル韓国との決勝戦、ポイントになったのは1点を先制した後、5回の中押し(3点)、6回のダメ押し(2点)だった。共通していたのは全てランナー一塁からのスタートだったということだ。
ホームランや長打ではなく、一塁に走者を置いてからヒットが繋がったのである。