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ディープはサンデーを超えたのか。
種牡馬としての万能性と「黄金配合」。
posted2017/01/28 08:00
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph by
Kyodo News
ディープインパクトは、競走馬としてのみならず、種牡馬としても偉大な父サンデーサイレンスを超えてしまうのか。
2016年、産駒のディーマジェスティ、マカヒキ、サトノダイヤモンドが皐月賞とダービーで1着から3着を独占するなど派手な活躍を見せ、5年連続でJRAリーディングサイヤーとなった。特筆すべきはサトノダイヤモンドが菊花賞を勝ったことにより、「ディープ産駒は芝3000メートル以上の平地では勝てない」というジンクスを吹き飛ばしたことだ。
そして同時に、3歳GI完全制覇という父ですらなし得なかった偉業達成(サンデー産駒はNHKマイルカップ未勝利)をやってのけたことだ。わずか6世代の産駒で7つの3歳GIコンプリートを達成したのだから恐ろしい。
父サンデーは13年連続でJRAリーディングだった。
サンデーサイレンスは1994年に初年度産駒がデビューし、翌'95年から2007年まで13年連続JRAリーディングサイヤーとなった。'92年に生まれた初年度産駒にはフジキセキ('94年朝日杯3歳ステークス)、ジェニュイン('95年皐月賞、'96年マイルチャンピオンシップ)、ダンスパートナー('95年オークス、'96年エリザベス女王杯)、タヤスツヨシ('95年日本ダービー)、マーベラスサンデー('97年宝塚記念)といったGI勝ち馬がいる。
トニービン('90年生まれのウイニングチケットとベガ)とブライアンズタイム('91年生まれのナリタブライアンとチョウカイキャロル)同様、初年度産駒がダービーとオークスを制したわけだ。
つまり'93年から'95年まで、3年連続で新種牡馬の産駒がダービーとオークスを勝ったのである。それができたのは、当時の日本馬のレベルが今ほど高くなかったこともひとつの要因として挙げられるだろう。
これら3頭の種牡馬は、'82年から'92年まで11年連続JRAリーディングサイヤーだったノーザンテーストの牙城を崩したわけだが、ノーザンテーストの名誉のために加えておくと、この馬の血も世界レベルのポテンシャルを有していた。