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打者・大谷翔平は清原、松井級か。
清宮にも通じる長距離砲復権の流れ。
posted2016/12/26 11:00
text by
小関順二Junji Koseki
photograph by
Kiichi Matsumoto
大谷翔平(日本ハム)が二刀流宣言でプロ入りしたとき、自著『2013年版 プロ野球 問題だらけの12球団』(草思社)で「打者・大谷翔平は“27年に4人”の逸材」と紹介した。'85年の清原和博、'92年の松井秀喜、'07年の中田翔に次ぐ存在、つまり27年に4人の大物である。
「4年に一度行われるWBCで私たちは毎回、日本打線の貧打を見せられ続けている。ここに大谷が加わってマウンド上には藤浪がいるという場面を一度でいいから見てみたい」
これも同書からの引用である。格下相手には打つが、韓国、アメリカ、プエルトリコなど強豪国戦ではピタッと音なしになる。スモールベースボールは貧打ジャパンの裏返しかと正直思った。
大谷がピッチャーとして底知れぬ才能を秘めていても、日本球界に不足しているのは長打力である。速いピッチャーは大谷と同時にプロ入りした藤浪晋太郎がいるし、まだ田中将大もいた。
統一球もあって、チャンスメーカーが主流に。
大谷がプロ入りする前年のプロ野球界は長打不足が際立っていた。セ・リーグのホームラン王は規定打席に到達していないバレンティン(ヤクルト)の31本で、パ・リーグは中村剛也(西武)の27本。そして、セ・リーグの2003~12年までのホームラン王は10年間12人のうち9人が外国人だった。
この長打力どん底時代の背景には“飛ばないボール”と言われた統一球の問題もあるが('11、'12年に採用)、「強くバットを振って強い打球を飛ばす」という考え方が浸透していなかったことのほうが大きいと思う。狭い球場の名残で「キャッチャー寄りで捉えて逆方向に打つ」というチャンスメーカータイプが、長い間日本球界の主流だった。