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小学生チーム監督、国家資格受験。
馬原孝浩が歩む誠実な第2の人生。
posted2016/12/26 07:00
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph by
Naoya Sanuki
馬原孝浩氏がホークスに復帰した。
かつての守護神が、しかも「監督」として。
といっても、これは、年末に行われる「NPB12球団ジュニアトーナメント」での話だ。出場選手は小学校5、6年生。その福岡ソフトバンクホークスJr.チームの6代目監督に今年就任した。チームは9月から始動しており、本大会は12月27日より3日間、宮崎市で開催される。
期間限定の監督でありユニフォーム姿だ。それでも4年ぶりに実現した「ホークスの背番号14」を見て思わず胸が熱くなった。もしかしたらホークスと縁を持つことはないのでは……との思いがあったからだ。
名クローザーでナイスガイ。それが馬原(以下・敬称略)という投手であり、男であった。'07年に38セーブを挙げてタイトルに輝き、'10年には日本人最速記録で通算150セーブ(267試合目)を達成。長らくホークスを支え続けた中心選手だった。
日本シリーズの記念球を近くのゴミ箱に……。
しかし、厳しいポジションを務め続けた肉体は悲鳴も上げていた。右肩痛に泣かされた。それは股関節を痛めたことが発端となり、その周辺の筋力が低下したことで右肩の負担が大きく増したのだと本人は語っている。
'11年は19セーブ、防御率3点台と成績が急降下した。それでもチームは日本一となったのだが、馬原の当時の立ち位置を象徴した出来事が起きた。日本シリーズ第7戦の9回表のことだった。
あと1つのアウトを取れば日本一という場面。秋山幸二監督(当時)が送りだしたのは、馬原ではなく、すでに先発に転向していた攝津正だった。ホークスは日本一を勝ちとった。その試合後のロッカー、各選手の椅子の上には日本シリーズの記念球が置かれていた。しかし馬原は無言でそのボールをつかむと、近くのゴミ箱に叩きつけるように捨てたのだと、のちにチーム関係者から聞いた。