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稀勢の里は笑わない。
白鵬に応えた言葉の背景とは。
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph byKyodo News
posted2016/06/02 11:10
白鵬に敗れた翌日の五月場所14日目、白鵬から力水を受ける稀勢の里。
花道で悔しがったり喜んだりすると怒られた。
5月末、「若の里引退西岩襲名披露大相撲」として断髪式を終えた元若の里は、著書で師匠について、このように振り返っていた。
「花道で悔しがったり喜んでも『みっともないからやめろ。ファンの方々はそういうところも見ているんだぞ』と怒られます。今は勝った力士が花道でグータッチをする光景をときどき、見かけます。私が育った鳴戸部屋ではそんなことをしたら大変です。『みっともない。負けた相手にも失礼だろ』と大激怒することでしょう。殊勲インタビューでも満面の笑みなど許されません」
さらにスポーツ新聞全紙に目を通し、弟子のコメントひとつひとつをチェックする師匠でもあったという。
「(中略)力士とはこうあるべきだと確固たる理想像が、師匠の中にはあったのだと思います。そういうことを厳しくしつけられたのは、力士としていい勉強になりました」(『たたき上げ』西岩忍著)
日本相撲協会が広報の一環として配信するSNSなどでも、稀勢の里だけは、満面の笑顔を見せ“られ”ない(それでも最近は、やっとぎこちない“微笑もどき”を見せられるまでにはなっているのだが……)。
戦う男たちに一番に求められる“仕事”。
そう、師匠の教えが叩き込まれ、その“イズム”が骨の髄まで染みこんでいるのが、稀勢の里なのだった。
いろいろなタイプの力士がいてこそ面白い。それぞれの個性、キャラクターがあるからこそ、ファンにもそれぞれにご贔屓力士ができる。だが、戦う男たちにまず一番に求められる“仕事”は、親しみやすい姿や、笑顔を提供することではない。「土俵上で、手に汗握る大勝負」を見せるのが第一義であり、一番のファンサービスとなる。それを体現し、「力士として生きているから」と矜持を持って言い切れ、どこか不器用でもある男が稀勢の里なのだろう。
かつてのインタビューで、稀勢の里がこう語っていたことがある。
「自分にとっての相撲? それは自分のすべてです。相撲あっての今ですから。いつも一日じゅう相撲のことを考えている。場所中は特に、朝起きてからずっとです」
まさに白鵬の指摘にも一理あるほど愚直であり続け、今の稀勢の里は余裕を持たない。今はまだ「結果を残していないから」稀勢の里は笑えない。