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中央大学をまたも襲った箱根の試練。
4年生の言葉に確信した復権の気配。
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph byHirofumi Kamaya
posted2015/01/09 10:40
10区を走った多田要は、19位に5分以上離された区間最下位。それでも、中央大の選手たちの表情は復活を予感させるものだった。
箱根駅伝、10区・多田要に起きた異変。
そして、1月2日。
中大は1区で「一走入魂」のハチマキを締め、顔をゆがませた町沢大雅が区間10位でしのぎ、2区の新庄も9位へと順位を上げ、流れに乗った。
名門復活は軌道に乗った。
往路は10位フィニッシュ。シード権獲得をにらんで、浦田監督は7区に実績のある徳永照、8区にケガから復帰してきた永井を配置して、万全を期していた。
特に永井は区間3位の好タイム、9区終了時点では8位をキープ、悲願のシード権獲得は目前だった。ところが――。
10区で起用された多田要が走り出すと異変が起きた。膝に故障が発生していたのだ。
多田はどうにか走り切ったが、中大の順位は19位に落ちていた。
「チームでは誰も多田さんのことを責めません」
閉会式場で永井主将らは落ち込んだ態度を見せることなく、浦田監督も視線をまっすぐにして質問に答えてくれた。
「4年になってから、多田もケガで苦労をしてきました。それでもなんとか予選会には間に合い、予選会の20kmで私は多田にチームのペースメーカーをお願いしました。『15km過ぎにペースがダウンしてもいいから、とにかく中大を引っ張って行ってくれ』と。多田は見事に役割を果たしてくれて、その後もチーム10位以内でゴールして、予選会突破の立役者だったんです」
北元主務もポツリ、ポツリと話してくれた。
「チームでは誰も多田さんのことを責めません。ケガをしていた永井さんが今回これだけの走りが出来たのは、同じようにケガをしていた多田さんがずっと頑張ってきたからなんです」
永井も立派だった。
「たしかに結果は残念ですが、中大にとっても、多田にとっても、これは“挽回できる失敗”だと思うんです。また、明日から頑張ればいい」
これが大学4年生の言葉だと思うと、本当に頭が下がる思いがした。
箱根での中大の試練は続く。
しかし、一年の努力の成果は着実に表れていた。悲観する必要はない。
「C」のマークは、きっと甦る。