マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
内海、菅野、大谷、今宮、雄平……。
高校時代の彼らの球を受けた男。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2014/07/30 10:30
敦賀気比高校時代には北陸三羽ガラスと呼ばれた内海哲也。彼が安倍氏の「流しのブルペンキャッチャー」の一人目の投手だった。
いちばん速かったのは、東北高の高井。
「誰がいちばん速かったですか?」
よく聞かれるその質問に、実は最近本当のことが言えなくなっている。その選手が投手ではなくなってしまったからだ。
その選手とは、東北高・高井雄平(現・ヤクルトの雄平)。主砲・バレンティンが故障欠場の非常時には、4番を拝命するほどに台頭した“12年目の新鋭”である。
高校の頃の高井投手は全国No.1左腕と評された快腕だった。その3年生だから、2002年の秋、やはり休み肩でビュンビュン投げられる時期だった。
このオッサン、驚かせてやろう……。
きっと、そんな魂胆だったはずだ。薄笑いを浮かべながら、立ち投げからもう飛ばすこと、飛ばすこと。ミットもそうだが、こっちは気持ちまではっきり圧倒されていた。
とにかく速かった。それしか覚えていない。
振り返ると、当時の私は今よりもだいぶヘタな捕手だった。
140kmを超えるスピードボール、怖いものだから早く捕ってしまいたいと、ミットを突き出すようにして前で捕ろうとしていたから、140km後半にまでなるとミットの反応が遅れてしまう。
これまで私に全力投球で応えてくれた多くの快腕、剛腕たちのおかげで、今は体の近くで捕球するワザを身につけた。
へんな言い方だが、50代もそろそろ終わろうとしている今のほうがよっぽど上手くなっている。
腰を下ろしてミットを構え、当時の若生正廣監督(現・九州国際大付高監督)がネットの後ろでスピードガンを構えてくれた。
室内のブルペンの薄暗さもあったかもしれない。とにかく速かった。それしか覚えていない。