マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
内海、菅野、大谷、今宮、雄平……。
高校時代の彼らの球を受けた男。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2014/07/30 10:30
敦賀気比高校時代には北陸三羽ガラスと呼ばれた内海哲也。彼が安倍氏の「流しのブルペンキャッチャー」の一人目の投手だった。
「ピッチャーだな……」そう思った。
チームのエースピッチャーのボール、受けさせてもらえませんか。
そんな前代未聞の企画だったから、お願いしても断られるだろうと思っていたら、意外にもOKだという。半信半疑でグラウンドにうかがってみたら、やはり監督さんには真意が伝わっておらず、「ほんとに受けるんですか?」とビックリされ、迷惑そうにされた。
当然のことだと思った。私が監督ならお断りしていただろう。
にもかかわらず、それを伝えられた内海投手には動揺がなかった。「わかりました」とひと言いって外野に走って行くと、たっぷり1時間かけて体を温めてからブルペンにやって来た。
ピッチャーだな……と思った。
相手の都合より、まず自分。投手はそれでよい。北陸の秋の日の夕暮れ。早く来てくれないとボール見えなくなるよ……。そんなことを気にしている捕手のことなど、なにも気にとめる必要はない。
最後まで、内海哲也は本気で投げてくれなかった。
記念すべき第1球は、幼稚園の息子にお父さんが投げるより、もうちょっとマシぐらいのボールだった。
当然だと思った。相手は、どこの馬の骨かわからないオジサンである。用心深いヤツだと思った。やはり、ピッチャーである。
いい音で受けてあげると、ちょっと指を余計にかけてくる。またパチンといい音で捕ってあげると、もうちょっと指をかけてくる。こっちの様子を見ながら投げている。賢いヤツだと思った。
立ち投げで15球、腰を下ろしておよそ30球。結局最後まで、内海哲也は本気で投げてくれなかった。当然である。全力投球をしていただくには、当時の私はまだ“無名”過ぎた。
全力投球はしてもらえなかったが、彼の本領の片鱗は見ることができた。ありえない事が起こった時でも平然と対処でき、相手の正体を探りながら、自分の出力の目盛りを自在に制御できる。実戦でのボールのすごさは、試合ですでに確認していた。これだけの選手がプロで活躍しないわけがない。
その後の内海哲也投手の活躍を、私は当然の事としてちっとも驚いていないのは、彼の高校時代にそういう出会いがあったからである。