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「もういいです、悲劇のヒーローは」
斉藤和巳が引退を決めた、“0と1”。
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byHideki Sugiyama
posted2013/11/25 10:30
2006年のプレーオフ、王貞治は闘病でベンチにはいなかった。「監督の待つ福岡に戻ろう」というのがチームの合言葉だった。
一時期、絶対的な力を持った人間の苦悩はどれほどか。
'04年は10勝と苦しんだが、'05年は16勝、'06年は18勝をそれぞれ挙げ、'06年はパ・リーグで初となる2度目の沢村賞を獲得。再び難攻不落の「絶対投手」として球界に君臨した。
一時期、絶対的な力を持った人間が、それを失うどころか、投げることさえままならないという苦悩はどれほどのものなのだろう。
「みんな『大変やね』『よくがんばってるね』って言うけど、僕はそれほど大変だとは思ってない。もちろん、楽ではないですよ。リハビリは毎日同じことの繰り返しですから。楽しいと思った日なんて一日もない。でもこうしてユニフォームを着続けて、まだ、復帰のチャンスがあるんだから幸せな方じゃないですか」
'10年オフ、斉藤は球団から選手登録を抹消され、リハビリコーチという立場を与えられた。そのときはやはり複雑な思いがあったようだ。
「そういう予想はしてなかったので、何回も話をさせてもらいましたし、(心の整理をするのに)何カ月もかかりましたね」
ダルビッシュにも鮮烈な印象を残したあの試合。
斉藤の名場面をひとつ挙げるとしたなら、やはり'06年のパ・リーグプレーオフ、日本ハムと対戦した第2ステージの2戦目になる。
チームは1戦目を落としていた。後がなくなった登板で、日本ハムの八木に0-1で投げ負けた斉藤はマウンド上で右膝と右手をつき、声を挙げて泣いた。あまりにも壮絶な終わり方だった。本人が「あのときから僕の中では時が止まったままなんです」と語るシーンでもある。
一昨年の冬、ダルビッシュが札幌ドームでメジャーへの移籍会見を開いたとき「いちばん印象に残る試合は」と問われ、自分が登板してもいないにもかかわらずこの試合を挙げたことからも、いかに見る者に鮮烈な印象を残したかがわかる。
斉藤は静かに語る。
「あの試合が終わってからのことは、ほとんど記憶にないんです。どうやってベンチまで帰ったのかもわからない……」