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カーリング界の流れを変えた、
“ママ”アスリート・船山弓枝の再出発。 

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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photograph byTakaomi Matsubara

posted2010/11/24 10:30

カーリング界の流れを変えた、“ママ”アスリート・船山弓枝の再出発。<Number Web> photograph by Takaomi Matsubara

今季はトレーニングをしながら残りのチームメイトを人選し、来季から大会出場の予定。船山弓枝は「五輪だけじゃなく、成績を残す強いチームを作りたい」と意気込みを語った

平坦な道程ではなかった20年に及ぶカーリング人生。

 競技を始めて20年。常呂町でカーリングを始めた頃、オリンピックを現実のものとしては捉えていなかっただろう。続けていく中で、ひとつずつ、何かを学び、何かを得て、今日にたどり着いた。

 楽ではないときもあったはずだ。かつて、ソルトレイクシティ五輪の前には、アルバイトをして競技に打ち込んでいたこともある。

「冬はカーリングに専念したかったので、夏の間にアルバイトで遠征費を稼ぐ。仕事がひとつでは足りなくて、2つ3つ掛け持ちして、寝る暇もなく働いていて。でも夏のトレーニングも本当は大事なので、こんな生活では強くなれないなと葛藤しましたね」

 会見の涙には、もらい泣きであるとともに、こんな思いもあった。

「今までの苦労がこみあげてきたというか。青森に渡ったとき、『なんで北海道じゃなくてチーム青森で』という声が聞こえてきたりもした中で頑張らなきゃいけなかったこと。今回、北海道銀行さんに支えていただけることが嬉しいし、また北海道で出来るんだということなどを思ったりして……。もちろん青森がサポートしてくれたおかげで今があります。全国民に応援してもらえるチームになりたいですね」

 いくつもの経験を糧にしてきた人ならではの言葉だった。

「私はほんとうにサードが好きで、誰かをサポートしたり、チームを見るのが性にあっている。自分のショットを決めるのはあたりまえですけれど、それ以外の精神的な部分で気持ちよく投げられるようなサポートをしたいんですね」

 小笠原、吉田、そしていつか加わるであろうメンバーとともに、船山はオリンピックで果たしていない思いをかなえるために、スタートを切った。

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