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カーリング界の流れを変えた、
“ママ”アスリート・船山弓枝の再出発。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byTakaomi Matsubara
posted2010/11/24 10:30
今季はトレーニングをしながら残りのチームメイトを人選し、来季から大会出場の予定。船山弓枝は「五輪だけじゃなく、成績を残す強いチームを作りたい」と意気込みを語った
4年前、大舞台での落ち着きある姿が印象的だった。内面に渦巻く思いはあっただろう。それを抑制しつつも、静かな闘志を発しながら、落ち着いてプレーをする様が際立っていた。
あのトリノ五輪から、4年あまりが経った。
11月8日、札幌。
ソルトレイクシティ、トリノを戦った小笠原(旧姓小野寺)歩、新たにメンバーに加わることになった旧常呂町出身の19歳、吉田知那美とともに、北海道銀行のサポートを得て現役復帰を発表した船山(旧姓林)弓枝は会見の席で、泣いた。
「(吉田さんの)『両親に感謝したい』という言葉でもらい泣きしてしまいました(笑)。でもこういう形で支援していただいて、スタートできることがほんとうに嬉しいですね」
笑顔で語る。
トリノ五輪終了後は現役復帰を前提にした休養の日々を。
船山は、トリノ五輪にチーム青森のメンバーとして出場し、7位ながら大きな注目と反響を得たあと、小笠原とともにチーム青森を離れ、休養の道を選んだ。実はそのときから復帰を意識していたと言う。
「カーリングは年齢が上がれば上がるほど強くなれる競技です。やめるという考えはありませんでした。ただ、そのまま続行したら、気持ちがまいってしまうでしょうし、中学1年からカーリング一本でやってきたので、人生のブレイクタイムじゃないですけれど、別なことを経験をしてみたいなという思いで一時期離れたんです」
休養の期間はどのような日々であったか。
「最初は、定年退職をしたお父さんのような気持ちだったと思うんです。何日間かはプライベートな時間を持つことができて楽しかった。でもそれが過ぎたら、何をしたらいいんだろうというか、目標がなくなったというか。わかりますか? ただ、そのあとすぐに普及活動でいろいろなところで、カーリングの話をさせていただく機会があったので、1、2年は忙しかったですね。こんなにも皆さんに、カーリングを見ていただいたというのが徐々にひしひしと伝わる機会でもありました」