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<シリーズ 3.11を越えて> 加藤久 「たったひとりの復興支援」~被災地を駆けた600日~
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byMiki Fukano
posted2013/03/08 06:01
日没の早い東北のため、58台の簡易照明を寄贈。
東北の秋冬は日没が早いので、Jリーグに働き掛け、チャリティの収益などを簡易照明の購入に当てた。これまで58台を宮古市から石巻市まで10地区のサッカー協会に寄贈したという。
また、沿岸部のチームは試合が出来る場所がないので、週末、盛岡など内陸に出掛けて試合をしている。そこでJFAと交渉し、交通費の補助を実現した。久さんは、被災地との橋渡しとなり、復興支援の重要なハブになっていったのだ。
「自分もそうだったけど、地元の人たちも最初、どうしたらいいのか分からなかったんだと思います。でも、田老の体育館の件で、大槌町や三陸町が『ここに何かを作りたい』と言ってくるようになった。こうして具体的なものが出てくれば、より効果的な支援が出来ると思うし、協力してくれる人も増えてくると思うんです。
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ただ、そういう地元のニーズを知るためには地域に足を運び、いろんな人と話をしていかないといけない。そりゃいい顔する人ばかりじゃないし、なぜサッカーだけなのかって言われることもある。それでも顔を合わせて付き合っていく。それは、自分にしか出来ないと思うし、東北に生まれた自分の使命だと思っているんです」
久さんは、キッパリと、そう言った。
亡き夫の車から見つかった、仙台vs.柏戦の観戦チケット。
東北の復興には、Jのクラブチームが果たす役割も大きい。
ベガルタ仙台は、ボランティア活動、募金活動など、様々な復興支援活動をしている。それにサポーターも呼応し、支援は、大きなうねりになった。それまで東北にJのクラブがどの程度、根付いているのか見えなかったが、こうした活動を見るにつけ、着実に浸透しているのが窺える。それを証明するような、こんな話がある。
3月11日、ひとりのベガルタサポーターが天国へと旅立った。
その妻に、亡くなった夫の車が見つかったと連絡が入った。一緒に車の保管場所に行った知人が「何か探し物でもあったんですか」と聞くと、妻はダッシュボードの中から泥で汚れたクリアーファイルを取り出した。中には、2枚のチケットとドライブの行程表が入っていた。チケットは、知人と一緒に行くはずだった柏レイソル戦のもので、行程表には柏の「塩梅」でトンカツを食べて、試合後はスーパー銭湯に入るという予定が記入してあった。
「このチケットを彼に渡さないと、あの世から彼に叱られてしまうので……」
妻は、試合を楽しみにしていた夫のために、チケットを取りに来たのだ――。
東北のJリーグのクラブは、こんなにも愛されている。子供たちを救うことは、その流れを絶やさないということでもある。