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<シリーズ 3.11を越えて> 加藤久 「たったひとりの復興支援」~被災地を駆けた600日~
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byMiki Fukano
posted2013/03/08 06:01
東北人の加藤久にしか出来ない粘り強いアプローチ。
「聞いていくと、やっぱり、みんな、サッカーをやりたいんですよね。だから、まずは子供たちと指導者にサッカーができる場所と機会を増やしていこう。そう思ったんです」
そのため、久さんは、いろんなところに顔を出し、人との繋がりを紡いでいった。
例えば、こんな感じだ。
定宿にしている遠野のホテルを出発し、釜石東中学の仮校舎に立ち寄り、教師に近隣の状況を聞いた。大槌町に移動し、「おらが大槌 復興食堂」で、大槌のグラウンド計画の打ち合せ。引き続き、そこで働く知人と復興食堂裏の駐車場にフットサルコートを作る話で盛り上がった。
そのまま、大槌町の吉里吉里中学校に移動し、ユニフォームを入れるジップケースを届けた。その時、たまたま訪れていた卒業生から「久さん、元気ですか」と、声を掛けられた。この学校で臨時講師をした縁もあり、久さんは、卒業生60名分のハンカチを購入し、全員に手渡していた。彼らと短い言葉をかわした後、学校関係者から中学の近くにグラウンドを作れないかという話を持ちかけられ、相談に乗った。
「被災地での活動は毎日、こういうことの繰り返しなんです」
日常の中、訪れる先で様々な相談やお願いが舞い込んでくる。初めて顔を合わし、ぎくしゃくした雰囲気が流れる時もある。だが、どんな時も久さんはそっと人の傍に立ち、優しく声を掛け、耳を傾ける。徐々に打ち解けて、やがて核心の言葉を引き出し、それを実現していく。東北人の久さんにしか出来ない粘り強いアプローチだが、そうして誰も成し得なかったことを形にしてきた。
サッカーの練習はパスとドリブルしか出来ない環境だったが……。
宮古市田老地区には、グリーンピア三陸みやこアリーナという体育館があった。そこはフットサルコート4面が取れるほどの大きさだった。だが、他スポーツとの共同使用のため、サッカーの練習はパスとドリブルしか出来なかった。ある時、久さんが「防球ネットがあれば、サッカーの試合をしてもいいですか」と聞くと、担当者は「それならいいですよ」と了承してくれた。
1月、静岡でチャリティパーティーがあった際、実行委員に何気なく「ここの収益は、どう使うんですか」と、聞いた。すると、まだ決まっていないという。グリーンピアの話をすると「OKです」と、快諾してくれた。久さんの具体的な支援案とチャリティの目的が合致し、4月28、29 日、防球ネット完成記念のフットサル大会が被災地のチームを呼んで催された。
それ以外にも久さんは、いろんな人と組織を巻き込んで復興の輪を少しずつ広げて行った。