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<シリーズ 3.11を越えて> 加藤久 「たったひとりの復興支援」~被災地を駆けた600日~
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byMiki Fukano
posted2013/03/08 06:01
なぜ「決して指導せず、ただ遊ぶことに専念した」のか?
11月中旬、久さんは、久慈より南の石巻、女川、陸前高田など被害の大きかった沿岸部を支援していくことを決めた。そこで初めて市町村のサッカー関係者に会い、情報を集め、巡回コーチを始めた。
コーチと言っても大げさなものではない。サッカー教室を催すと準備に地元の人の手を煩わせることになる。そのため、スケジュールを決めず、サッカーをしている子供たちの輪に飛込みで参加した。その時、久さんは決して指導せず、ただ遊ぶことに専念したのだという。
「子供たちだけじゃなく、指導者の人も被災者なんですよ。家が流されたり、肉親を亡くしたりしている。戦場みたいに軽傷の人が重傷の子供たちを抱えて戦っているようなもので、無傷ではないんです。そういう人たちは、子供たちを指導することが生きがいになっている。そこに僕が入って行って、そういう生きがいの時間、生きるエネルギーが湧き出てくる時間を奪ってはいけない。だから、飛び入りで子供たちの中に入って、一緒にサッカーを楽しんでいたんです」
最初は、知らない人が交わってきて怪訝な表情を浮かべていた子供たちも2度、3度と続くと「ヒゲのおじちゃんが来た」と迎えてくれるようになった。今では「キューちゃん」と呼ばれるようになり、子供たちは久さんが来るのを心待ちにするようになった。
「僕は、日常を支えるために人の横に立って支援する」
「人には役割があるんです。香川(真司)が白石に、長谷部(誠)が大槌に、吉田(麻也)と内田(篤人)が大船渡に行ったり、有名な選手が来て、エネルギーを与えてくれるのは大事なこと。僕は、日常を支えるために人の横に立って支援する。もちろん、生活の全てを支えることはできません。僕は、サッカーしかできないし、サッカーで復興のお手伝いをさせていただく。その役割を果たすには、まず加藤久がどんな人間なのか、分かってもらう必要がある。そうすれば、地元の人とのコミュニケーションはより濃密になるし、今まで言ってくれなかったことも言ってくれるようになる。そうして初めて、急所に支援が届くと思うんです」
しかし、具体的に何をすべきなのか。
久さんにも分からないまま、見えないまま、地元の人の傍らに立ち、ポツリポツリとこぼれてくる声に耳を傾けていった。