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猛牛のささやきBACK NUMBER
「本当は山川選手を抑えたかったですけど…」オリックス日本一“陰の立役者”が振り返る「防御率0.00で現役引退」決断の理由とラスト登板の舞台裏
posted2025/03/26 11:02

現役時代を振り返ったオリックス・比嘉コーチ
text by

米虫紀子Noriko Yonemushi
photograph by
Haruka Sato
昨季限りで現役を引退し、指導者の道を歩み始めたオリックス・比嘉幹貴投手コーチ。貴重な火消し役としてブルペンを支えた仕事人が、現役時代のエピソードと引退決断に至った思いを明かした。〈全2回の前編/後編を読む〉
新体制となった今年のオリックスの宮崎キャンプ。新任の比嘉幹貴投手コーチは、移動用の白いカートを見つけると、「おっ!」と目を輝かせて乗り込み、ブルペンへと続く坂道をあっという間に上っていった。
昨年10月に左膝の手術を受け、リハビリから現場復帰したばかりの身に、まだ坂道や階段はつらい。カートは比嘉の救世主だった。
消えなかった左膝の痛み
41歳だった昨シーズン、引退を決断したのも、その左膝の軟骨損傷が原因だった。
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昨年は開幕から無失点登板を続けていたが、4月24日に左膝痛のため登録を抹消された。
「それまでにも毎年のようにあったんです。膝が痛くて、でも2、3日経ったら消えるということが。今回も2、3日で治るだろうと思っていたんですけど、1週間経ってピッチングしたら痛みが強くなって。1回調べようか、ということになりました」
軟骨の損傷と判明し、医師に手術を勧められた。
手術→翌年復帰の選択肢は…
「どれくらいかかるんですか?と聞いたら、6カ月って言われたんです。シーズン終わるじゃないですか。『先生、それじゃあもう即引退なんで、それはなしで』と話をして。なんとか保存療法という形で、いろいろ最新の治療をした結果、6月にピッチングが再開できて、7月にはファームで投げられた。どうにか7、8、9月にチームに貢献できたらなと思ったんですけど……毎日は投げられなかった。
投げると、その日の夜や、次の日にダメになって、1週間か10日ぐらいは投げられない。先発だったらいいですけど、ブルペンなんで、それじゃ話にならないじゃないですか」