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野球に未練は「ないですね」…大学ジャパン主将も経験“元・楽天ドラ4選手”がナゼ教育学の准教授に?「野球じゃなくても教えるのが好きなので」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by(L)NumberWeb、(R)JIJI PRESS
posted2024/12/24 11:04
楽天でのプロ野球選手時代と、立正大で准教授になった現在の西谷尚徳さん。両極端ともいえる2つの職業に通じるものは?
国語の教師を募集している学校や学習塾の専任講師を中心に、教鞭を執れそうな舞台であれば履歴書を送り続ける。仕事が固まるまでは、家庭教師や出版物を小売店などに卸す取次店でアルバイトをして生活を繋いだ。
ここにも、西谷の狙いがあった。
「先生になったら生きると思ったんです。家庭教師は教える仕事ですし、取次店は活字に触れられるので。次のキャリアに進む上で、アルバイトでも『こういう仕事を経験してきました』と説明できたほうがいいと」
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目的が明確なアルバイト生活を経て、西谷は人によって教壇へと導かれた。
立正大は、同校OBでアスレチック・トレーニング学者の小山啓太が繋げてくれた。西谷が明治大4年で大学日本代表に選ばれた際にトレーニングコーチだったのが小山で、母校で講師を務めていた11年に「俺の授業で話してくれないか」と頼まれたのがきっかけだった。そこでの西谷の講義が大学の教員に評価されたことで、非常勤講師となった。
引退後は高校で国語の教員経験も…
さらに同時期、大学院を卒業した縁で明星大で体育、もうひとつの母校の明治大OBから紹介された多摩大聖ヶ丘高校で国語と、非常勤としてこの3校で授業を受け持つこととなった。
それぞれ1週間のうち1コマから3コマと担当は少ないが、3校を掛け持ちとなると常勤と同じくらいの仕事量となる。
「最初は野球をやってきたことを生かせませんでしたね」
西谷が新米教師だった時代を回想する。
「体力的なところとか、仕事をやり続ける根性みたいな部分は生きるんですけど、それ以外となると野球とは違いますよね。先生の仕事というのはリスク管理が重要で、例えば授業の準備をA、B、Cの3パターン用意しておくとか。そういった知識がゼロだったので、ひとつずつ根気強く仕事と向き合って、理解を深めながら覚えていった流れでした」
非常勤講師として2年間、経験を積んだ西谷は、13年に立正大の法学部で専任教員として採用された。言うなれば、教師として「昇格」を果たしたわけだが、同時に「元プロ野球選手」の肩書も生かせるようになった。