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ぶら野球BACK NUMBER
巨人OBが40歳落合博満に苦言「あるまじき行為なんじゃ」…あの“伝説的”完全試合のウラ側、槙原寛己が痛恨のミス「じつは落合さんのおかげです」
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph bySankei Shimbun
posted2024/11/30 11:01
1994年5月18日の完全試合。偉業を達成した槙原寛己に飛びつくサード長嶋一茂ら
400勝投手の金田正一は「週刊ポスト」の自身の連載「カネヤンの誌上総監督」において、「はっきりいって、マスコミから同情されるようでは選手生命はおしまいなんですよ」とオレ流に苦言を呈している。
「スポーツマスコミはこぞって『耐える4番』と、まともにバットが振れる状態ではないことを強調し、落合も打席で空振りをした直後に痛みをこらえるようにしゃがみ込む。こういうことはチームが好調だから許されとるが、プロフェッショナルとしてはあるまじき行為なんじゃ」(週刊ポスト1994年5月20日号)
しかし、万全の状態ではなくとも、徐々に落合のバットは上向いていく。5月26日の阪神戦を雨で流すと、全試合出場中の落合は「最高の雨。恵みの雨。とにかくうれしい雨。いまは雨が一番だよ」と体を休め、一時は2割1分台にまで落ち込んだ打率もじわじわと2割7分台にまで回復。
5月31日の中日戦では延長10回に松井が、プロ初の第8号サヨナラアーチを東京ドームの右翼席上段に叩き込んだ。これには長嶋監督も「ウチはこういう野球、ドラマチックに行くんです。報道陣のみなさんも楽しんでますか」と上機嫌だ。巨人は13勝6敗の4月に続いて、5月も13勝10敗で乗り切り、26勝16敗の貯金10。2位中日に3・5ゲーム差をつけて首位を快走する。
そんな好調を維持する長嶋巨人において、ひとり取り残された男がいた。開幕直前に左アキレス腱の部分断裂を負い、ギプス姿のままジャイアンツ球場でリハビリを続けた背番号8。昨年までの四番打者、35歳の原辰徳である――。
<前編《最悪の大乱闘》編から続く>