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ぶら野球BACK NUMBER
巨人OBが40歳落合博満に苦言「あるまじき行為なんじゃ」…あの“伝説的”完全試合のウラ側、槙原寛己が痛恨のミス「じつは落合さんのおかげです」
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph bySankei Shimbun
posted2024/11/30 11:01
1994年5月18日の完全試合。偉業を達成した槙原寛己に飛びつくサード長嶋一茂ら
「余りに浮かれたボクは、ボールを中途半端に1塁に放ってしまいました。ボールは、フォーク以上に、明白に落ちました。そう、ワンバウンドです。『!』1塁の落合(博満)さんが、必死になって体で止めてくれた。『何やってんだ』って顔してましたよ。ありがとうございます、落合さん。自由を得られたのは、落合さんのおかげです」(プロ野球 視聴率48・8%のベンチ裏/槙原寛己/ポプラ社)
ここがゲームのターニングポイントだった。九死に一生を得た背番号17は、その後危なげなくひとりの走者も許さないまま、9回表のカープの攻撃を迎えるのだ。午後8時14分、広島27人目の打者・御船英之の打球は一塁側ファウルグラウンドに力なく上がり、落合が構えたミットにおさまった。その普段は常に余裕すら感じさせるオレ流らしからぬ懸命な打球の追い方と、三塁を守る長嶋一茂のバンザイと、マウンド上でジャンプする槙原の姿は、「平成唯一の完全試合」として人々に長く記憶されることになる。
長嶋監督「落合の後押しがあったから…」
「5、6回あたりから“これ、行っちゃうな”というのはあったよ。意外に早かったわけ、これ行くなと思ったのは。だから、守っていて固くなるということはなかった。流れの中でわかるんだよ、これは行く、行かないというのが。あの試合に関しては1回もマウンドに行っていない。絶対、流れを断ち切ったらいかんと思っていたから。それだけは気を遣っていたんだ」(激闘と挑戦/落合博満・鈴木洋史/小学館)
オレ流も絶賛したその投球内容は、打者27人に対して全102球、奪三振7、内野ゴロ11、内野フライ6(うち捕邪飛1、一邪飛2)、外野フライ3で史上15人目の完全試合を達成。前半は速球で押し、中盤以降はフォークやスライダーを低めに決めゴロの山を築いた。1978年の今井雄太郎(阪急)以来16年ぶりの偉業で、いまだにドーム球場唯一の完全試合でもある。
当日、落合もそのバットコントロールを高く評価する広島の前田智徳は、クリーンナップを組む江藤智とともに故障で欠場していた。若かりし日の眼光鋭い前田は、「ワシと江藤さんのいないカープから完全試合して嬉しいかって、槙原さんに言うといてください」なんて強烈なコメントを残している。
球団通算7000試合目のメモリアルゲームを、これ以上ない最高の形でものにした長嶋監督は、神宮での乱闘騒動以降の重い雰囲気を振り払うかのように、グラウンドに飛び出して背番号17に抱きつき祝福。試合後は、「確かに槙原も凄かった。それで目立たなくなってしまいましたが、(先制打を放った)落合の後押しがあったからこそ、槙原の快挙になったんですね」とここでも40歳の四番打者を立てることを忘れなかった。
巨人OBが落合に苦言「あるまじき行為なんじゃ」
しかし、一方で満身創痍のまま試合に出続ける背番号60に対しては、相変わらず批判的な声もあった。