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ぶら野球BACK NUMBER
「落合もキレています!」40歳落合博満もケンカに…「危なすぎるデッドボール」大乱闘で“指2本骨折&3人退場”…野村ヤクルトvs長嶋巨人、最悪の夜
posted2024/11/30 11:00
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
KYODO
あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が発売1カ月で3刷重版と売れ行き好調だ。
その書籍のなかから、「あの完全試合のウラ側」を紹介する。巨人1年目落合、40歳の体は死球によって、ボロボロになる。そして野村ヤクルトとの“大乱闘の夜”を迎える。【全2回の前編/後編も公開中】
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死球、死球…40歳落合博満の体はボロボロだった
「オレがつぶれたら2人の人間がダメになってしまう。130試合出るつもりじゃなくて、出るんだ。そういう気構えじゃないと、気持ちが切れるから」(週刊ベースボール1994年5月30日号)
1994年5月7日の中日戦(東京ドーム)、6号ソロアーチを放ち、リーグ単独トップの21打点目を記録した落合は、チームがサヨナラ勝ちを飾った直後、報道陣の前でそうポツリと口にした。普段は「調子が上がってきたって? ごまかしだよ」なんてうそぶく男が漏らした本音。ここで言う、“2人の人間”とは、自身と長嶋茂雄監督のことである。
4月下旬に死球を受けた背中に近い左ワキ腹の痛みは長引き、この日も中日の小島弘務から右肩にぶつけられていた。ボロボロの体で満足にバットを振れる状態ではなかった。しかし憧れの長嶋監督から、「お前の生き様を、ウチの若い選手に見せてやってくれ」と口説かれて巨人入団を決めた落合は、四番打者として打席に立ち続ける。
「四番というのは、すべてに責任を負う打者ということだ。エースと四番というのは、そこが他の選手とは違うところなんだよ。(中略)巨人の四番というのはな、オレのイメージではやっぱり全日本の四番なんだ。日本中の野球をやってるヤツが集まって、ベストのチームを作ったときに、その四番に座るのが巨人の四番なんだよ。長嶋さんが、監督がそうだったじゃないか」(週刊ベースボール1994年5月30日号)
信子夫人「休んだら、またぶつけられるよ」
その己の仕事に対する職人肌のこだわりの一方で、「どこのチームの四番であっても、四番は四番なんだよ」とクールにグラウンドに立つオレ流の二面性。照れ屋であり、ときに自信家。リアリストであり、ときにロマンチスト。冷静と情熱の狭間に、選手・落合は存在した。
ただひとつ確かだったのは、FAでの巨人移籍時にあれだけ球団OBたちから批判された落合が、皮肉にもその「巨人の四番」という消えかけた伝統を結果的に守ろうとしていた事実である。大量リードの試合で、長嶋監督から途中交代を勧められても「監督、まだ早いですよ。ゲームはまだわかりませんよ」と断り、グラウンドに立ち続ける背番号60。「週刊文春」の人気コーナー「阿川佐和子のこの人に会いたい」のゲストに呼ばれた信子夫人は、そんな夫の心境をこう代弁している。