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グラウンド外の早明戦…「一緒に戦う仲間として」早大ラグビー部の“学生アナリスト”が語るチームへの貢献《ラグビー早明戦100回記念》
posted2024/11/22 15:01
text by
大友信彦Nobuhiko Otomo
photograph by
WASEDA UNIVERSITY RUGBY FOOTBALL CLUB
現在のラグビーでは、ナショナルチームでもリーグワンのチームでも、ほとんどのチームにアナリスト(分析係)が存在する。大学も例外ではない。12月1日に100回目の早明戦を戦う早稲田大学ラグビー部には6人、明治大学ラグビー部には3人の学生アナリストが在籍し、裏方として大学日本一を目指すチームを支えている。
早明両校で9人いる学生アナリストの中でも紅一点が、早大の大谷翼(2年)だ。うら若き女子大生はなぜアナリストを目指し、実際にはどんな仕事をしているのだろうか。
「ラグビーは5歳のとき、福岡の草ヶ江ヤングラガーズで始めました」
大谷は歯切れの良い口調でラグビーとの関わりを話しはじめた。
草ヶ江ヤングラガーズは、古くは村田亙や淵上宗志、近年なら下川甲嗣や垣永真之介など、数多くの日本代表選手を輩出した名門ラグビークラブだ。
「女子選手は学年に1人か2人いるかどうか。小学生のときは男子と一緒に試合をしました。中学からは各クラブの女子選手が集まった『福岡レディース』というチームで活動し、3年のときは福岡レディースのメンバーが中心になった『九州北部女子代表』で全国ジュニア大会に出て優勝しました」
大谷はそのチームでキャプテンを務めた。ポジションはSH。相手の動きを観察し、穴を見つけてゲームメークするのが得意な頭脳派選手だった。高校は福岡の名門・修猷館に進み、ラグビー部に所属。平日はラグビー部で男子と、日曜日は福岡レディースで女子と練習し、高3では福岡レディースで出場した全国U18女子セブンズでプレート4位(全体8位)の成績を残した。
女子ラグビーが年々盛んになっていく時期だったが、大谷は大学進学を前に自身の競技生活にピリオドを打つ決意を固めた。
「高校のときに大きなケガを2回したんです。高1の夏に肩の関節唇を損傷して半年ラグビーができなくて、復帰した高2の春に前十字靱帯を切って。高校3年間の半分はラグビーができなかった。やるならトップレベルでやりたいけど、ケガのブランクを考えると難しいかなと」
でも、ラグビーから離れる気にはなれなかった。
「5歳からずっとラグビーをやってきて、仲間にも恵まれて楽しかったし、この人間関係やラグビーの経験を切りたくなかったんです」
ラグビーとの新たな関わり方
そんなとき、福岡レディースの先輩がアナリストとして男子日本代表に帯同していることを知った。アナリストに興味を持った大谷は、早大ラグビー部OBである草ヶ江のコーチに早稲田でアナリストをしている学生スタッフを紹介してくれた。
「お話をうかがって最初は難しそうだな……と感じたけど、ケガをしていた時期にフィールド外から戦術を分析したり、試合相手の特徴を仲間に教えたりした経験を活かして、チームに貢献できたらいいなと思いました」
志望校を早大に絞り、アナリストなど学生スタッフの募集情報をSNSで入手しつつ、めでたく合格。晴れて早大ラグビー部員になった。
「ゼロからのスタートだったから大変なことばかり。1年はあっという間に過ぎました」
最初に任された仕事は撮影係だった。カメラで練習の様子を撮影し、選手やコーチが練習を振り返るための映像素材を集めた。
忘れられない出来事があったのは、入学して3カ月ほどが過ぎた頃。ブレイクダウンの練習を撮影する際、大谷が高い櫓の上でカメラを構えていたところ、その様子を見ていたあるコーチに撮影について指摘を受けた。
「それを聞いて目が覚めました」と大谷は言う。
「私は『全体が映っていればいいだろう』と、深く考えずにカメラを構えていたんです。でもひとつひとつの練習には目的がある。そのポイントをチェックできる映像を撮らないと意味がない。それからは、練習前にコーチに『どこから撮ればいいですか?』と必ず確認するようにしています」