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「落合もキレています!」40歳落合博満もケンカに…「危なすぎるデッドボール」大乱闘で“指2本骨折&3人退場”…野村ヤクルトvs長嶋巨人、最悪の夜
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKYODO
posted2024/11/30 11:00
1994年5月11日、神宮球場での大乱闘。「危険なデッドボール合戦」が悲劇を生んだ
この11日の乱戦も落とし、警告試合となった翌日こそエース斎藤雅樹の力投で両リーグを通じて20勝一番乗りも、13日の横浜戦では15失点の大敗。そこから3試合続けての一桁安打でシーズン初の3連敗を喫した。投手陣は外角一辺倒のピッチングを痛打され、打者は内角を意識するあまりスイングを崩す悪循環。「木田、橋本ほか長嶋巨人は“危険球ノイローゼ”に罹っている!?」(週刊ポスト1994年6月3日号)と揶揄する声もあがり、春先から目いっぱい飛ばした巨人は“5月病”の息切れを囁かれた。
こんな時こそ、なんとかチームの雰囲気を変えるきっかけが欲しい。その最中の、15日に横浜戦の先発マウンドへ上がった槙原寛己は、最速148キロと直球が走り、絶好調のピッチングを披露するも、試合は3回途中で雨天中止に。やはり今の巨人にはツキがないのか……。結局、槙原は中2日で九州遠征の広島戦に先発することが決まる。
今思えば、この横浜の雨が、1994年5月18日の福岡での大記録に繋がっていくのである。
<続く>
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