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「落合もキレています!」40歳落合博満もケンカに…「危なすぎるデッドボール」大乱闘で“指2本骨折&3人退場”…野村ヤクルトvs長嶋巨人、最悪の夜
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKYODO
posted2024/11/30 11:00
1994年5月11日、神宮球場での大乱闘。「危険なデッドボール合戦」が悲劇を生んだ
マウンド上の西村を威嚇した直後、止めに入った捕手・中西親志にジャブからの右アッパーを食らわせ両軍入り乱れて揉みくちゃの殴り合いに。結局、グラッデン 、西村、中西と当事者は全員退場処分。派手に立ち回った36歳の助っ人は、出場停止処分12日間と同時に右手親指と左手小指を骨折して長期戦線離脱という、あまりに大きな代償を払った。後日、セ・リーグのアグリーメントが現代まで続く「頭部顔面死球があれば、投手は即退場」と改められたわけだが、グラッデンはメジャー時代にもチームメイトと取っ組み合いの喧嘩をして指を骨折している気性の荒いファイターで、来日直後に前年から続く両チームの死球合戦を聞かされていたのだ。
試合後の興奮気味な長嶋監督は「目には目ですよ!」と過激なコメントを残したが、7回の乱闘では珍しく落合もその輪の中心に駆け寄り、ヤクルトの選手を集団から引きはがした様子がフジテレビのナイター中継で映され、「落合も怒っています!」 と実況アナウンサーは伝えた。強打者に死球はつきものだが、落合はこの騒動について、のちに自著でこう書いている。
「経緯は別にして、ピッチャーが投げてくるときの目線で故意か過失か判断できる。マスコミの『遺恨』でどうこうという見方はちょっと当てはまらないわけだよ。(中略)村田に対する西村のデッドボールは故意に狙った雰囲気ではないんだよ。ただ、それまでの経緯があって、しかも村田はキャッチャーというチームの要で、あの当時よく打っていた。だから、それをつぶしちまえということであの球を投げた、と思われてもしようがないけれどね」(激闘と挑戦/落合博満・鈴木洋史/小学館)
福岡で“伝説の試合”が生まれる
なお、3回に木田が西村に死球を与え、野村監督が執拗に抗議している間、巨人の内野陣はマウンド付近に集まっていたが、一塁手の落合だけはひとりホームベース付近まで前に出て、抗議の様子を険しい顔でじっと見つめていた。まるで、一塁側ヤクルトベンチに対して、「オレは一歩も引かないよ」というファイティングポーズを取り、同僚たちを鼓舞しているようでもあった。
実は当時、おとなしい選手の多い巨人は、乱闘騒ぎがあると途端に萎縮して試合に負けると指摘されていた。