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「落合もキレています!」40歳落合博満もケンカに…「危なすぎるデッドボール」大乱闘で“指2本骨折&3人退場”…野村ヤクルトvs長嶋巨人、最悪の夜
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKYODO
posted2024/11/30 11:00
1994年5月11日、神宮球場での大乱闘。「危険なデッドボール合戦」が悲劇を生んだ
「落合はF・A(フリーエージェント)宣言して巨人に入ったけど、その間、OBの方やマスコミに『落合なんか取ったって意味がない』とか『なぜ四十男なんか取るんだ』とか、わんわん言われたでしょう。だから、本人には『落合一人で底上げなんかできるかって批判食っているんだから、休むわけにはいかないのよ。あんたは一年契約で巨人の助っ人。それに、ぶつけられて引っ込めば、また、ぶつけられるよ』って言ったのね」(週刊文春1994年6月9日号)
プロとして、痛みを見せることは、弱みを見せることでもある。治療後、トレーナー室から出るときは、テーピングの上からアンダーシャツをしっかり着て、あえてマッサージを受けただけという顔で歩いた。
開幕ダッシュに成功した首位・巨人に対する、各チームの攻めは厳しさを増していた。落合の前を打つ三番の松井秀喜も4月16日のヤクルト戦で執拗に内角を突かれ、「あと5ミリずれていたら、間違いなく骨折していた」(萩原宏之チーフトレーナー)という右手直撃の死球を受けた。5月中旬、その死球を巡り、長嶋巨人は宿敵の野村ヤクルトとひと騒動起こすことになる。
ジャブ、右アッパー…大乱闘で“指2本骨折”
1994年5月11日、神宮球場でのヤクルト対巨人戦は荒れた。2回表にヤクルトの西村龍次が投じた速球が、打席の村田真一の側頭部を直撃。ヘルメットにヒビが入る衝撃だったが、村田は一度立ち上がりマウンドへ向かおうとするも、その場に昏倒して担架で運び出される。ヤクルトは攻守の要、キャッチャーの古田敦也が故障離脱中で、苦しい戦いの続く野村克也監督は「巨人が独走しているのは、(正捕手の)村田がよくなったから。村田をつぶせば勝てる」と戦前に発言していた。
球場は騒然となり、今度は3回裏に巨人の木田優夫が打席に入った西村の尻にぶつけ返し、怒りのノムさんが球審に抗議。両軍ヒートアップして迎えた7回表、再び西村がダン・グラッデンの顔面付近にブラッシュボールを投げてしまう。右打席でヘルメットを吹っ飛ばしながら避けるも、この一球で“カリフォルニアの暴れ馬”と呼ばれた元メジャーリーガーの怒りに火が付いた。