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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「あのタイプは大成しない」野球界の“通説”を覆した田宮裕涼(ゆあ)「プロは無理だぞ、諦めろ」から日本ハム入りを叶えた“最後の夏”の大逆転劇
posted2024/07/23 11:04
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph by
SANKEI SHIMBUN
岩舘学コーチがそのプレーを初めて見たのは田宮が2年生だった2017年冬のことだ。自身も成田高のOBで、東洋大を経て2004年にドラフト5位で巨人に入団。内野手として活躍し、トレード移籍した日本ハムでも4年間プレーした。2013年シーズン限りで現役引退した後、スカウトに転身していた。
スカウト界の“通説”
「バッティングはすぐにでもプロで通用すると思いました。金属バットなのに、木のバットを持っているかのような使い方ができる。バットコントロールが良くて、柔らかさがありました。ただ、体は細かったし、キャッチャーとしてはまだ厳しいかな、というのが正直な感想でした」
当時、スカウト界には『足の速い左打ちのキャッチャーは大成しない』という“通説”があった。俊足好打の田宮はまさに、その典型のような選手だった。“通説”は度外視したとしても、その体つきはいわゆる“キャッチャー体型”とは真逆で、線が細くて身長の割に足が長い。プロ入りしても苦戦するのではないかと岩舘スカウトは危惧していた。
「僕はスカウトする時にまず、本人のためにどういう道がベストなのか、ということを考えるんです。無理やり評価を上げてプロ入りしても本人のためにならないこともあるし、本人のためにならないことは、結局チームのためにならない。田宮のために何がベストか考えると、高校からプロに入らない方がいいと感じていました」
プロ入りへの“条件”
同じく成田高・尾島監督も本人のためを思い大学進学を勧めていたが、田宮は最後まで首を縦に振らなかった。「絶対にプロに行きたい」。17歳の強い意志に押された尾島監督は仕方なく「夏の大会で結果を出したら」と“交換条件”を出した。その言葉に目の色を変えた田宮は、最後の夏を前に燃えていた。