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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「あのタイプは大成しない」野球界の“通説”を覆した田宮裕涼(ゆあ)「プロは無理だぞ、諦めろ」から日本ハム入りを叶えた“最後の夏”の大逆転劇
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph bySANKEI SHIMBUN
posted2024/07/23 11:04
成田高時代の田宮裕涼。当時から“愛されキャラ”だったという
岩舘コーチが振り返る。
「大学に進むべき、という思いもあり最初は調査には行かないつもりでした。全国のスカウトから田宮ともう一人の高校生捕手の名前が挙がり、田宮は僕の担当だったので調査するため急遽、尾島監督に連絡を入れました」
メモに記した「体重は増やすな」
ドラフト当日、6位指名を受けた田宮は顔をくしゃくしゃに崩し「打って走って守れる三拍子そろった捕手になりたい」と力強く誓った。契約にも立ち会った担当スカウトの岩舘コーチは、プロ入りの夢を叶えた田宮にさまざまなことを伝えた。そのメモが今も残っている。
・野球を10年間やるために、まずは怪我をしない。痛い痒いと泣き言は言わない
・準備を怠らない。そのために1月の新人合同自主トレまでに「三勤一休」で練習する
・体重は増やさない。ウエートトレーニングも急激にはせず今の体を維持する……など。
田宮はこれを忠実に守った。さらに、弱点であるキャッチングの課題克服のために、打撃マシンを1mほど前に出した状態で160km近い球を入団まで毎日、100球以上受け続けていたという。
懇々と諭した「勝負は5年先」
岩舘コーチは言う。
「それは自分が現役の時に失敗したことなんです。焦って急激に筋力をつけたことが怪我に繋がったりした。田宮には『勝負は5年先だからすぐに色々とやらなくていい』ということを懇々と諭しました。後輩ということもあるけれど、ユニフォームを脱ぐまで幸せに野球をやらせてあげる、というのはスカウトの責任だと思っています。プロはまだ早いと思っていましたが、うちに来るなら面倒を見られるし困ったら何か言ってあげられる。そういう意味でも結果的には一番良い環境だったんじゃないかな、と思います」
縁あって成田高の門をくぐり、そのOBでもある担当スカウトが見守る中でプロの生活をスタートさせたことは、田宮にとって幸運だったと言えるだろう。
“育成落ち”の危機も乗り越え
今シーズンのブレークまで5年間の道のりは平坦ではなかった。尾島監督が危惧していた通り、入団から数年間は1シーズンを乗り切るのに必死という状況が続いた。プロ3年目以降は怪我にも泣かされた。実際に捕手からのコンバートや、育成契約への移行という可能性もあった中で、地道に取り組んできたことが花開いた。
「本人が頑張ったことが一番だけれど、山中コーチ(潔、現・ファーム捕手インストラクター)や渡辺コーチ(浩司、現プロスカウト)が田宮を何とかするという思いを持って付きっきりでやってくれたことも大きかったと思います。人との出会いに恵まれるという意味でも、やっぱり“持ってる”んですよ」