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甲子園の風BACK NUMBER
大谷翔平を甲子園で撃破…2012春夏連覇の大阪桐蔭“黄金世代”の副将はいま何してる? 白水健太が独立リーグ→高校指導者の道を選んだワケ
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph by(L)Fumi Sawai、(R)JIJI PRESS
posted2024/06/21 17:10
現在、福井工大福井高の監督を務める白水健太。大阪桐蔭高校時代は副将として大谷翔平擁する花巻東も破り、春夏連覇も達成した
12年前。同じ春の大舞台に、白水は大阪桐蔭のユニホームに身を包んで立っていた。
のちに春夏連覇を達成することになるメンバーの一員として背番号8をつけ、副キャプテンも務めた。エースの藤浪晋太郎(阪神→メッツ3A)、正捕手の森友哉(オリックス)ら精鋭が揃う中で、どちらかと言えば地味な存在だったかもしれないが、チームで最も声を出す“元気印”としてベンチを盛り上げる役目でもあった。
「自分らの時は……甲子園で初めての試合がこんな感じで夕焼けの薄暗い空で、ナイター照明の中でプレーしていました」
そう口にし、思い浮かべたのは初日の第3試合で対戦した花巻東との試合だった。
藤浪と大谷翔平(日ハム→エンゼルス→ドジャース)という、世代屈指の剛腕の投げ合いが大会の初日に実現し、センバツ大会にも関わらず2万7000人の観客がスタンドに押し寄せた。あの大観衆の異様なうねりは、12年経った今でもはっきりと脳裏に焼きついている。
「あの試合の時、『自分たちがずっと見てきた甲子園は、これなんや』って思ったのを覚えています。監督になってももちろん行きたい気持ちは変わりませんけれど、実際はなかなかうまくいかないですね(苦笑)」
大阪桐蔭で春夏連覇→同志社大でも主将を務める
福井工大福井高校の監督に就任して、今夏で丸4年が経つ。
大阪桐蔭から同志社大に進み、4年生になると主将となりリーダーシップを発揮した。高校時代から面倒見のよい性格だったこともあり、高校野球の指導者になりたいという願望は持ってはいたが、どこかぼんやりしたものだったという。
「大学を出てすぐに指導者に……というのは当時あまりなかったんです。それよりも社会人野球も含めて、一般就職してもいいので社会を知りたいというのがありました。カッコよく言うと、野球がなくなった時の自分がどれだけ評価されるのかを知りたいというのもあったんです」
それでも野球はできるだけ続けたいと思っていた。ただ、普通に社会人野球の世界に進むのはどうか、という迷いもあった。
「自分みたいなレベルの選手は社会人野球に行ってもプレーできるのは長くて5年くらい。同志社でずっと頑張ってきて、声を掛けていただいたチームにすんなり入社して、そのまま引退して会社に残って……というのも、何かしっくり来なくて」