プロ野球PRESSBACK NUMBER
「“大谷様”と呼ばないとアカン。あの時はすいませんでした(笑)」ロッテ・田村龍弘が初めて明かす“メル友”だった花巻東・大谷翔平のこと
posted2024/06/20 11:04
text by
梶原紀章(千葉ロッテ広報)Noriaki Kajiwara
photograph by
Chiba Lotte Marines
初めて、その名を認識したのは高校1年生の時だった。千葉ロッテマリーンズの田村龍弘捕手は当時、大阪の親元を離れて青森の光星学院(現・八戸学院光星)で野球に打ち込む毎日を送っていた。光星学院は岩手の花巻東高と定期的に練習試合を行うなど相互交流があった。両校のグラウンドは、バスで片道3時間ほど。花巻東高のグラウンドで練習試合をしていたある時、一人の選手の名前が耳に入ってきた。
噂に聞いた「凄い1年生」
チームメートの一人が言った。
「花巻東の1年生に、めちゃくちゃ大きい選手がおるなあ」
別のチームメートが続いた。
「投げても140kmを超えるらしいよ」
田村はこの話を横でなんとなく聞いていた。同じ1年生にそんな選手がいるのか……当時はそんな程度の認識だった。それが現在、ドジャースで活躍する大谷翔平の名前を初めて聞いた時の記憶だ。田村は言う。
「あの頃、大谷は内野を守っていた。たしかショートだったかな。1年生の頃はバリバリのレギュラーの印象ではなくて練習試合に出てくるぐらいだったと思う」
「打撃も守備も器用だなあ」
一方、田村は1年生の時から外野でレギュラーとして活躍していた。大谷は練習試合で1日に2試合行うと、そのうちの1試合に出るか、出ないかという存在。ただ、そのプレーはハッキリと覚えている。
「1年の時の大谷は1試合目が終わって2試合目に出てくる感じだったかな。その時はあまり知らなかったけど、身体がデカいのに打撃も守備も器用だなあ、と思った。めちゃくちゃデカいのにショートとかを守っていて、上手かったです」
2年生になると、大谷は投打でその名を広く知られる存在に変わり始める。そして田村もまた、「打てる捕手」として全国から注目を集める選手になっていた。