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箱根駅伝MVP→26歳で引退…箱根8区最速ランナー・小松陽平が明かす“早期引退”の理由「自分の限界が見えてしまった」「ムダな1年をおくるより…」
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byWataru Sato
posted2024/05/18 06:02
現役を退き社業に専念し、札幌で会社員生活を送る小松。インタビューに応じ、人生は陸上だけじゃないと決断の理由を語った
そのレースには東海大の同期・鬼塚翔太も出走していた。大学時代のエースの背中を追えた喜びがあったが、最後は苦しみながらゴールした。63分49秒のタイムは、小松が箱根駅伝の8区区間新を出した時と同タイムだった。自らの名前を世に知らしめ、現役の終わりを告げるタイムが重なる数奇な巡り合わせで、最後のレースを締めくくった。
今後の目標は…
小松は今、社業に専念し札幌に生活の拠点を移している。
関東を離れる前、東京で大学同期の郡司陽大と食事をした。東海大時代、黄金世代の同期に負けまいと共闘し、箱根駅伝で優勝に貢献した同じ叩き上げの盟友だ。郡司は、2021年10月に引退し、その後、うつ病を発症し、今も回復途中にいる。小松は郡司が「箱根駅伝で優勝しなきゃよかった」とまで言い切り、苦しみを吐露した記事をつらくて読めなかったという。一方の郡司は、「ニューイヤー駅伝の走りを見た時、小松らしくない。もしかしたらやめちゃうのかも」と思っていたという。気脈を通じる二人は現役を退いたが、走ること自体はやめていない。小松は、自分が楽しめる範囲でつづける予定で、市民ランナーとして、すでに5月19日の洞爺湖マラソンにエントリーしている。
「これはガチで走って2時間20分を切って優勝したい。その後は、何をするか。うーん、とにかく幸せになりたいですね(笑)」
引退を決めた今も大学4年の時の箱根駅伝のビデオは実家に封印したままだ。小松にとっては、一番苦しく、悔しいレースだった。それを見られるようになった時、陸上を除いた人生において小松はきっと大きな幸せを掴みとっているはずだ――。
小松陽平(こまつ・ようへい)
1997年11月2日生まれ、東海大四高(現・東海大札幌)から東海大に進学。3、4年時に箱根駅伝に出走し2年連続で8区区間賞を獲得。卒業後はプレス工業に入社。2021年から日立物流に加入し、ニューイヤー駅伝に2度出場。今年3月、引退を発表。5月19日の洞爺湖マラソンに出走予定
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