バレーボールPRESSBACK NUMBER
「命を捨ててバレーボールするなんて」栗原恵を襲った“脳血栓”…大病の原因は“ピルの副作用”「何万人かに1人というリスクがたまたま…」
posted2024/12/03 11:03
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph by
Kiichi Matsumoto
17歳で代表入りを果たし、瞬く間に日本のエースへと駆け上がっていった栗原さん。その競技人生の後半戦は苦難の連続だった。特に「人生で一番大きなターニングポイントになった」と振り返るのは、2012年のロンドン五輪に向けた代表落選だった。
「あれをきっかけに、選手としての価値観がガラリと変わりました。すごくしんどい経験ではあったんですけど、自分の人生にとって大きな出来事だったと思います」
2004年アテネ五輪で初めて夢舞台に立ち、2008年北京五輪では日本代表のエースとして5位入賞を牽引した。しかし、2009年秋に左膝半月板を断裂。翌年に手術した後も万全な状態には戻らず、コンディション作りに細心の注意を払いながらプレーを続けてきた。ロンドン五輪直前の2012年6月、栗原さんは代表合宿から外れ、3度目の五輪出場の夢は途切れた。
日本代表じゃない自分に価値があるのか
この時、もうすぐ28歳。
「あそこでバレーをやめるか、続けるか本当に悩みました。結局続けるということを選んだのですが、代表選手でなくなることで自分に何も価値がなくなってしまうんじゃないかと思ってしまったんです。子供の頃からバレー一筋で生きてきて、一体自分に何か残るんだろうか、って……」
傷心の栗原さんを救ったのは、他でもなくバレーボールだった。同年7月に移籍した岡山シーガルズでゼロからスタートを切りプレーする中で、子供の頃に味わっていたような純粋な喜びを感じるようになった。
「重荷がなくなって、逆に思いっきりバレーを楽しむという経験ができました。代表選手でなくなって、『もうバレーボールはやってないんでしょ?』、『引退したの?』と言われることも沢山あったけれど、企業チームでプレーした数年間は私にとってはすごく濃い時間でした。代表落選はしたくない経験だったけれど、あの思いを味わったからこそ分かったもの、感じたことがあったと思います」
2014年には日立リヴァーレに移籍。バレーボールと純粋に向き合う喜びの中でしかし、試練は突然訪れた。2016年秋、32歳だった栗原さんに病が襲いかかった。