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「スクール水着でいけると(笑)」15歳の長与千種が、全日本女子プロレスから“逃げた”日…「先輩も同期も1回は逃げてる」本人が明かすウラ話
posted2024/12/01 17:00
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph by
東京スポーツ新聞社
Netflixのドラマ『極悪女王』のヒットによって、今ふたたび、ダンプ松本やクラッシュ・ギャルズが活躍した80年代の女子プロレスが注目を集めている。芸人・玉袋筋太郎、構成作家の椎名基樹、プロレス格闘技ライターの堀江ガンツの3人が、当時の女子プロレスラーや関係者にインタビューした『玉袋筋太郎の全女極悪列伝』(白夜書房)より、2015年に収録した長与千種のインタビューを抜粋して紹介する。長与の証言で振り返る、一時代を築いた全日本女子プロレスとは一体何だったのか――。《全4回の初回》
ガンツ 今回は女子プロレス史上最大のスーパースターに来ていただきました!
長与 いえいえ、とんでもないです。
玉袋 いや、長与さん。そこは「そうですね」って言ってくださいよ、もう。スーパースターなんだから!
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長与 ありがとうございます(笑)。
ガンツ 文字通り、女子プロレス界100年に一人の逸材ですからね。
玉袋 そして真のレインメーカーだよ! 長与千種、クラッシュギャルズがどんだけ全女にカネの雨を降らせて、どんだけそれが松永会長のクルーザーに姿を変えたのかっていうね(笑)。
ガンツ クラッシュギャルズ全盛期は、ホントにものすごいブームでしたもんね。
長与 ただ、自分では当時のこと、ハッキリとは憶えてないんですよね。とにかく忙しかったことだけで。当時「コース表」っていうスケジュール表があって、それを消化すると一個ずつ黒塗りしていくんですけど、コース表が真っ黒になりましたから。最高、(年間)310試合やりましたからね。
玉袋 310試合! そのスケジュールの組み方がもう昭和だよな~(笑)。特に(全女経営者の)松永一家ってとこはさ、昭和の一番古臭い、芸能から来てるから。
家になんてほとんど帰れないし
ガンツ 実際、その310試合以外に、芸能の仕事もたっぷりあるわけですもんね。
長与 だから、いま自分がどこにいて、何をしているのかわからなくなるんですよ。家になんてほとんど帰れないし。そんな中、「当時は何を必需品として持っていかれてたんですか?」ってよく聞かれたんですけど、それは10円玉ですね。ケータイも普及してなかったから。
玉袋 ああー、公衆電話で使うための10円玉か。