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「箱根駅伝を優勝しない方が幸せだった」郡司陽大26歳が苦しんだ「箱根駅伝の魔力」 自傷行為、引きこもり生活…救いとなったのは「加藤純一」だった
posted2024/01/21 06:02
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph by
Wataru Sato
2019年の箱根駅伝で青学大、東洋大を抑え、優勝した東海大。そのゴールテープを切ったのがアンカーの郡司陽大だ。栃木県生まれのランナーは卒業後、実業団入りするも周囲からの期待や大学時代との比較に押しつぶされ、走れなくなっていく。会社を辞め、人生を諦めかけた元選手が明かす復活の物語――。(Number Webノンフィクション全3回の第3回/初回から読む)
ゴン太君だけは尻尾を振って迎えてくれた
実業団に入社後、1年半で郡司陽大は退社し、栃木県の実家に戻った。
だが、実家に帰ると不安定な精神状態がさらに深刻になっていった。ある日、家族と普通に話をしているときに大声で叫び、急に涙が止まらなくなって、意識が遠のいた。頭から前のめりに倒れ、父が「大丈夫か」と叫んで抱きかかえ、母の「ちゃんと診てもらおう。病院に通おうね」という涙声だけが耳に残った。
「本当は、実家に戻ってくる気はなかったです。いつも『もうちょっと頑張りなさい』って言われて、誰もわかってくれないんだなって思っていましたから。それでも戻って来たのは、犬のゴン太君がいたからです。僕が帰った時、ゴン太君だけは僕に尻尾を振って迎えてくれた。もう老犬だったので、最後まで面倒見ようと思い、実家に帰ってきました」
実家に戻ってはきたが、やることはなく、苦しい日々がつづいた。
箱根があったから、こんな目に…
両親のことを敵だと思っており、顔を合わせるのがいやだったので会う時は、ずっとフードをかぶっていた。なぜかトイレの水が流せなくなり、訳もなく自分の部屋の壁にパンチして穴をあけた。夜になっても寝られず、ハサミで自分の腕を傷つけた時もあった。自分を傷めつけることで苦しみから逃れようとしたのだ。
「その頃は、何もいいことはなかった。人生を変えてくれた箱根駅伝も優勝しない方が幸せだったなと思っていました。箱根があったからすごい選手みたいに思われて、こんな目にあっているんだ。いっそ、なかったことにしたいと思いました」