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箱根駅伝MVP→26歳で引退…箱根8区最速ランナー・小松陽平が明かす“早期引退”の理由「自分の限界が見えてしまった」「ムダな1年をおくるより…」
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byWataru Sato
posted2024/05/18 06:02
現役を退き社業に専念し、札幌で会社員生活を送る小松。インタビューに応じ、人生は陸上だけじゃないと決断の理由を語った
自分の力だけで強くなる、それができなかった
「すごく悲しかったですね。高校や大学でも一匹狼みたいな感じで、自分の力だけで強くなれる人っているじゃないですか。僕は恥ずかしい話、それができなくて、人やチームの雰囲気に頼るというか、左右されてしまうんです」
小松が東海大時代、成長できたのは、目標となる黄金世代の強いライバルたちと切磋琢磨していける環境があったからだ。実業団でも同じ環境を求めていたが日立物流でそれが実現した。これからさらに成長していこうと思っていただけに、先輩の退部は、ダメージが大きかった。
「昨年のトラックシーズンは、ロジスティード入社1年目みたい感じでした。練習でもレースでも追い込めるはずなのに追い込めない。力を出し切れないレースが続きました」
4月のNCG(日体大)記録会5000mでは13分57秒57、5月のGGN(ゴールデンゲームズイン延岡)5000mでは13分53秒62、7月のホクレンディスタンス千歳大会5000mでは14分32秒21まで落ち込んだ。「もう限界かもしれない……」と思った。それでも夏合宿で調整した結果、9月の世田谷競技会10000mでは29分18秒93でチーム内での出走者9名中4位になり、調子が戻って来た。11月の東日本実業団駅伝は、チームに貢献できるぐらいまで状態が上がっていた。
メンバー外で見えてしまったもの
だが、小松は出走メンバーから外れた。
「この時、メンバーから外れたら引退しようと決めていました。このシーズンは、苦しかったけど、ようやく走れるところまで上げることができた。実力がある若い選手の突き上げとかもあったけど、走れる自信があった。でも、監督が選んだメンバーに入れなかった。そこで自分の実力というか、自分の限界が見えてしまった気がして……。五輪や世陸を狙える力がないことは自覚していたので、自分には駅伝しかなかった。その駅伝で貢献できない自分は、陸上をつづけていく意味がないと思ったんです」