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「契約金0円」で西武・松坂大輔から本塁打も、わずか3年で引退…低迷期オリックスで活躍、高見澤考史の野球人生
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![喜瀬雅則](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/6/3/-/img_63c0172edf1a3eec5d5017836b5eb9301895.jpg)
喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byJIJI PRESS
posted2024/04/29 11:04
![「契約金0円」で西武・松坂大輔から本塁打も、わずか3年で引退…低迷期オリックスで活躍、高見澤考史の野球人生<Number Web> photograph by JIJI PRESS](https://number.ismcdn.jp/mwimgs/4/a/700/img_4a9a434b92d32a0c08b46ec595d2fe77248136.jpg)
2000年ドラフトで6位指名されオリックスに入団、2003年に自由契約となった高見澤考史
4月19日、鹿児島・鴨池球場(当時)での西武戦。
プロ初安打は、あの西武の若きエース・松坂大輔からのホームランだったのだ。
平成の怪物を、「契約金0円」の男が打った。
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このコントラストは、痛快なドラマでもある。
「たまたま。ホントたまたま。僕からしたら、行き当たりばったりのタイミングで、ポーンとぶつかったのが、パーンと行っただけ。何ともないんですけど、それを今でも言ってもらえるんで、本当にありがたいです。でも、そういうのがなかったら、今、何していたんだろう、とも思いますね」
ああ、俺、クビだな
しかし、翌3年目。社会人時代から痛めていた右肘が、とうとう悲鳴を上げる。
いかに痛くないように投げるか。ごまかし、探りながら、外野を守っていた。自分の立場が分かっていた。ダメなら、すぐに切られる。だから必死だった。
2年目のシーズン終了後に右肘を手術。だから3年目のキャンプインは、ファームでのリハビリでのスタートだった。
夏頃になると、FA権を取得した他球団の外野手を、獲得に乗り出すというまことしやかな噂が耳に入り、スポーツ新聞でも、それが事実のように報じられていた。
「ああ、俺、クビだな、そんな感じでしたね」
医者から「もう野球は無理でしょう」
28歳、右肘の怪我、契約金0円。球団は待ってくれない。言い方は悪いが、元手がかかっていないから、クビにするのにも躊躇がない。
わずか3年。怪我に泣かされた、短いプロ野球人生だった。
オリックス退団後、高見澤は無給のまま古巣・東京ガスの練習生に復帰、韓国や台湾のプロリーグで、数カ月の短期契約を結べるという話が持ち込まれ、それに向けた準備で練習を続けていたという。
その矢先に、再びアクシデントが起こった。
「今度は、腰でした」
今も、その時のボルトが入っているという。「もう野球は無理でしょう」と医者からも言われ、手術を決断すると同時に、自らの現役引退も決めた。
妻から渡された1枚のチラシ「正社員って書いてあるよ」
そんな時だった。