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「契約金0円」で西武・松坂大輔から本塁打も、わずか3年で引退…低迷期オリックスで活躍、高見澤考史の野球人生 

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喜瀬雅則

喜瀬雅則Masanori Kise

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photograph byJIJI PRESS

posted2024/04/29 11:04

「契約金0円」で西武・松坂大輔から本塁打も、わずか3年で引退…低迷期オリックスで活躍、高見澤考史の野球人生<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2000年ドラフトで6位指名されオリックスに入団、2003年に自由契約となった高見澤考史

 4月19日、鹿児島・鴨池球場(当時)での西武戦。

 プロ初安打は、あの西武の若きエース・松坂大輔からのホームランだったのだ。

 平成の怪物を、「契約金0円」の男が打った。

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 このコントラストは、痛快なドラマでもある。

「たまたま。ホントたまたま。僕からしたら、行き当たりばったりのタイミングで、ポーンとぶつかったのが、パーンと行っただけ。何ともないんですけど、それを今でも言ってもらえるんで、本当にありがたいです。でも、そういうのがなかったら、今、何していたんだろう、とも思いますね」

ああ、俺、クビだな

 しかし、翌3年目。社会人時代から痛めていた右肘が、とうとう悲鳴を上げる。

 いかに痛くないように投げるか。ごまかし、探りながら、外野を守っていた。自分の立場が分かっていた。ダメなら、すぐに切られる。だから必死だった。

 2年目のシーズン終了後に右肘を手術。だから3年目のキャンプインは、ファームでのリハビリでのスタートだった。

 夏頃になると、FA権を取得した他球団の外野手を、獲得に乗り出すというまことしやかな噂が耳に入り、スポーツ新聞でも、それが事実のように報じられていた。

「ああ、俺、クビだな、そんな感じでしたね」

医者から「もう野球は無理でしょう」

 28歳、右肘の怪我、契約金0円。球団は待ってくれない。言い方は悪いが、元手がかかっていないから、クビにするのにも躊躇がない。

 わずか3年。怪我に泣かされた、短いプロ野球人生だった。

 オリックス退団後、高見澤は無給のまま古巣・東京ガスの練習生に復帰、韓国や台湾のプロリーグで、数カ月の短期契約を結べるという話が持ち込まれ、それに向けた準備で練習を続けていたという。

 その矢先に、再びアクシデントが起こった。

「今度は、腰でした」

 今も、その時のボルトが入っているという。「もう野球は無理でしょう」と医者からも言われ、手術を決断すると同時に、自らの現役引退も決めた。

妻から渡された1枚のチラシ「正社員って書いてあるよ」

 そんな時だった。

【次ページ】 高見澤君、野球塾ってどうかな?

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