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「契約金0円」で西武・松坂大輔から本塁打も、わずか3年で引退…低迷期オリックスで活躍、高見澤考史の野球人生
text by
喜瀬雅則Masanori Kise
photograph byJIJI PRESS
posted2024/04/29 11:04
2000年ドラフトで6位指名されオリックスに入団、2003年に自由契約となった高見澤考史
新聞に入っていた1枚のチラシを、妻から渡されたという。
「野球だよ、これ。正社員って書いてあるよ」
埼玉に居を移していた高見澤は、東京ガスの練習に車で通う途中に、バッティングドームがあるのを、毎日のように見ていた。
さいたま市岩槻区にある「アーデルバッティングドーム」の求人募集だった。
高見澤君、野球塾ってどうかな?
正社員としての勤務が始まった。希望者には高見澤自ら打撃指導も行っていた。
仕事が軌道に乗り始めた頃、ドームの社長から思わぬ提案があった。
「高見澤君、野球塾ってどうかな?」
勉強の塾と同じように月謝制。子供たちに本格的に野球を教えてみるのはどうだろうという新ビジネスのアイディアだった。
高見澤は、惹かれるものがあった。
野球は危ない。ボールが当たったら、怪我をする。
公園でも、キャッチボール禁止の看板が掛けられるような時代になった。
野球をやりたくてもできない。その環境の制限が、都会ではさらにきつくなった。
「公園だとか、危ない、やったらダメというところが多くなっているし、親の方もどうせやるんだったら、そういうプロの人たちに見てもらったらとか、その辺、熱の入れようも変わってきているんですね」
やるなら、きっちりと教えます。そうしたコンセプトで「野球塾」を名乗る施設やシステムは、2000年代序盤には「調べてもなかったんですよ」と高見澤は明かしてくれた。
「子供を見るのも大好きだし、やってみても面白いかな、と思ったんです」
<つづく>