Number ExBACK NUMBER

「契約金0円」で西武・松坂大輔から本塁打も、わずか3年で引退…低迷期オリックスで活躍、高見澤考史の野球人生 

text by

喜瀬雅則

喜瀬雅則Masanori Kise

PROFILE

photograph byJIJI PRESS

posted2024/04/29 11:04

「契約金0円」で西武・松坂大輔から本塁打も、わずか3年で引退…低迷期オリックスで活躍、高見澤考史の野球人生<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2000年ドラフトで6位指名されオリックスに入団、2003年に自由契約となった高見澤考史

仰木監督から「みんなにご飯でもご馳走せい!」

 1年目の監督は、仰木彬だった。

 球界のマジシャンと呼ばれた知将は、そういう演出にもたけている。

「あと3日やな」「あと2日やな」。にやりと笑って、毎日のように高見澤に声を掛ける。

ADVERTISEMENT

 神戸の試合前、仰木に「高見澤!」と大声で呼ばれた。

「お前、これで今日、1000万円の出来高、ゲットするんやから、みんなにご飯でもご馳走せい!」

 仰木流の祝福に合わせ、ベンチ内が沸いた。

「ご馳走様でーす」

 おどけた声で田口壮が言うと、ベンチ内に爆笑が起こり、拍手が湧いた。

 高見澤は最終的に、満額の2000万円を獲得することになる。

2年目は打率.279、4本塁打、26打点。

 自力で契約金をつかみ取った男が輝いたのは、2年目の2002年だった。

 2000年オフにイチロー、翌01年には田口壮がFA権を行使して、かつてのオリックスの看板選手の2人が、メジャーへと戦いの場を移していた。

 その穴は簡単に埋まらない。8年間の長きにわたってオリックスを率いた仰木も、2年連続の4位に終わった2001年を最後に勇退していた。

 後を継いだのは、西武で遊撃手として活躍。高いリーダーシップで、その黄金期を支えた石毛宏典だった。

 その石毛が、高見澤のガッツと実力を高く評価してくれた。

 62試合に出場、打率.279、4本塁打、26打点。

 これだけの結果を残せた選手が「契約金0円」ならば、それこそ、スカウト陣の見る目は高く評価されてもいい。仕入れ価格0円から、一軍で稼げる選手を生んだのだ。

プロ初安打は松坂大輔からのホームラン

 その“0円選手”だからこそ、騒がれたシーンがあった。

【次ページ】 ああ、俺、クビだな

BACK 1 2 3 4 5 NEXT
#オリックス・ブルーウェーブ
#オリックス・バファローズ
#高見澤考史
#仰木彬

プロ野球の前後の記事

ページトップ